阮籍の精神への憧れ?
個人的な阮籍好きの原点は、この本だったり。
阮籍の「詠懐詩」について
吉川幸次郎
岩波文庫
阮籍は三国志に登場する人物で、その視点でも考えるけれど、自分の阮籍観の根本にはまずこの本に影響された阮籍の詩や詩精神的なものへの愛好とか憧れとか、そんなものはあるんじゃないかなと思ったり。
阮籍の「詠懐詩」について――を読む
吉川さんは冒頭でこう言っていたり。
うち私がことに敬愛するのは、竹林の七賢の巨頭、阮籍である。
というわけで、基本的にこの本は、阮籍愛にもあふれているといえるかもしれない。
吉川さんの阮籍の人物像?
この本の冒頭は「阮籍伝」(といっても晋書の訳というわけではなく、著者が書いた阮籍の伝記)。
著者はこう断言していたり。
なぜ阮籍は、そうした生活態度を取ったか。それは彼の生きていた時代が、偽善と詐術にみちた不潔な時代であったからであり、彼の生活はそれに対する抗議であったということが、普通にいわれている。それはまた事実でもある。
※生活態度……白眼視や飲酒などのこと。この直前で触れている
「それはまた事実でもある」の断言が素敵。
吉川さんはこうしめくくる。
つまり彼の一生は、魏という欺瞞によって起こり欺瞞によって倒れた王朝と、ほぼ時を同じくして始まり、ほぼ時を同じくして終わったと、要約することが出来る。
吉川さんのあげる魏の欺瞞例
魏の欺瞞の例としては禅譲をあげているけれど。
……ただその前に曹操については、「寧しろ我れ人の負(そむ)くとも、人をして我に負かしむることなからん」という奸雄であった。
と、陳寿の三国志じゃなくて孫盛のを引用していたり。
孫盛は、人物像や顔とかあるいは言葉、台詞(パロール)を創りだす才能にあふれている、三国志の魅力up(大衆への)の貢献度が高い人だと思ってるけれど、まあそれは今はいいや。
武帝紀の注のここ。
孫盛雜記曰、太祖聞其食器声、以為図己、遂夜殺之。既而凄愴曰、「寧我負人、毋人負我!」遂行。
孫盛の『雑記』にいう。太祖は彼らの用意する食器の音を耳にして、自分を始末するつもりだと思いこみ、夜のうちに彼らを殺害した。そのあと悲惨な思いにとらわれ、「わしが人を裏切ることがあろうとも、他人にわしを裏切らせはしないぞ」といい、かくして出発した。
吉川さんのあげる晋の欺瞞例
晋の欺瞞の例についてはこれ。
……司馬昭が、人を使嗾して、もう一人の天子を殺させ、しかも罪を下手人になすりつけて、涼しい顔をした時は、五十一歳であった。
司馬昭と曹髦の死については、いろいろ改めて書きたいけれど、結局のところ、司馬昭のとった対処法は最善ではなかったとは後世からはいえるんじゃないかな。
これによって「人を使嗾して、もう一人の天子を殺させ、しかも罪を下手人になすりつけ」という風に解釈されるのは避けられなくなったし。
政治上の人物としての評価、行動は、その人個人とはまた別だし。
まあいまはいいや。
そしてこういった司馬昭は皇帝を殺したという認識は、石勒あたりはおいといても、東晋ではあった様子。
名前が紛らわしい司馬紹(東晋の皇帝)が、王導から曹髦と司馬昭のことを聞いて憂いたエピソードが「世説新語」(南朝宋)にあるし。
王導、溫嶠俱見明帝,帝問溫前世所以得天下之由。溫未答。頃,王曰:「溫嶠年少未諳,臣為陛下陳之。」
王迺具敘宣王創業之始,誅夷名族,寵樹同己。及文王之末,高貴鄉公事。明帝聞之,覆面著床曰:「若如公言,祚安得長!」
これについてもおもしろいけれど、今はいいや。
だから陳泰が賈充を殺せといったというのも、成済だったら「しかも罪を下手人になすりつけ」としか受け入れられなくても、賈充くらいの立場にある人物に責任があるとするなら、司馬昭は罪を下手人になすりつけ(成済は、司馬昭たち以外には誰それレベルでしかないだろうし)てせこいという評価は免れることができて、賈充が悪いということにできたかもしれない――と考えたからなのかもとは思ったり。
でも話がそれた……。
阮籍の潔癖と魏晋の欺瞞
吉川さんに戻る。
彼の行為は、こうした不潔な世の中に対する、潔癖な精神の、反撥であり、反抗であったと、いわれる。
この辺、屈原の漁父を思い出したり。
屈原既放,游(遊)於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。
漁父見而問之曰:「子非三閭大夫歟?何故至於斯?」
屈原曰:「舉世皆濁我獨清,眾人皆醉我獨醒,是以見放。」
漁父曰:「聖人不凝滯於物,而能與世推移。世人皆濁,何不淈其泥而揚其波?眾人皆醉,何不餔其糟而歠其醨?何故深思高舉,自令放為?」
屈原曰:「吾聞之,新沐者必彈冠,新浴者必振衣,安能以身之察察,受物之汶汶者乎!寧赴湘流,葬於江魚之腹中,安能以皓皓之白,而蒙世俗之塵埃乎!」
漁父莞爾而笑,鼓枻而去。歌曰:「滄浪之水清兮,可以濯吾纓,滄浪之水濁兮,可以濯吾足。」遂去,不復與言。
この詩は、漁父の人生観で締めくくられている。
この詩に共感する場合、漁父の人生観に完全同意して確かに屈原みたいな考え方は馬鹿だ、と考えるか、あるいは、まあ漁父のいうこともわかるけれどね……、くらいの受け取り方をするか――2通りは考えられるかも。
自分の場合は後者かな。
そして、そもそも後者でなければ、屈原の「舉世皆濁我獨清,眾人皆醉我獨醒,是以見放。」が心に響かなかったら、そもそもこの作品に特に惹かれたりすることはあるのかなあとも思ったり。
漁父完全論破大勝利とか、かなりオリジナリティ高いというか誤読に近い読み方な気はするし(作者は屈原ってなってるわけだし)。
こんな感じの潔癖さは、屈原やあるいは許由とかも、古代中国では尊重、あるいは憧れられていたっぽいし。
吉川さんは、阮籍の一生をこう要約している。
要するに彼の一生は、道理に忠実な人間が、道理のあまり行われない世の中に生まれあわせた時、いかに生きるべきかを示す一つの型であった。
でもって、阮籍が阮籍個人としてだけではなく、竹林の七賢の一人(かなり創作要素の強い)として注目をされるようになったのは東晋の頃。
とりあえず東晋の人々は、このようなモデルとなる阮籍像を必要としていたんじゃないかなとか。
史実阮籍(詩の作者の阮籍像はここに含まれる)と、竹林の七賢阮籍とは、三国志でいえば演義と正史(あるいは史実)のように、あくまで切り分けて考える必要があるとは思ってたり。
そのうちもう少し考える……。
阮籍の酔と醒
個人的な阮籍のイメージ。
阮籍は飲酒エピソードが多いけれど、一方で詩の内容やその他のエピソードは、むしろ醒めているような印象の物が多かったり。
最初からさめているのではなく、酔った後の、あの寒々しい感じの酔い覚めのほう……。
李白の詩は酒に酔った感じのが多いと思うけれど。
阮籍は、たとえ酒を飲んで酔ったとしてもそれは酔醒的なほうであって、陶酔とかそういうものとは程遠い感じなのがなんともいえない魅力ではあったり(李白も好きだけど)。
阮籍の詩
吉川さんは、阮籍の詩をこう評価していたり。
もし中国の詩のうち、最も調子の高いものはと問われるならば、私はちゅうちょなく答えるであろう。それは阮籍の「詠懐詩」八十二首であると。
そして「阮籍伝」の最後に引用するのがこの詩(訳)だったり。
夜中寐ぬる能わず
起き坐して鳴琴を弾ず
薄き帳に名月の鑑(て)り
清風は我が襟を吹く
孤鴻(ここう)は外野に号(さけ)び
朔(きた)の鳥は北の林に鳴く
徘徊して将(は)た何をか見る
憂思して独り心を傷ましむ
酔醒的な、冷え冷えとした詩情があるんじゃないかなとか。
冷え……というと、日本の世阿弥とかの美意識の「冷え」とかあの辺の幽玄趣味にも似ているのかなとは思ったり。
世阿弥とかいうと、なんとなくこの詩、能(謡曲)っぽい気もしたり。
諸国一見の僧が宿を借りて、夜中に起き坐して鳴琴を弾じている阮籍の幽霊に会うとか、よさげ。
それはそうと、詩は特に外国語の理解は大変ともいわれるけれど。
じゃあ自国語だったら理解可能かというとそういうわけでもないし。
結局のところ詩情とか、そういうものがその人に読み取れるかどうかだとは思ったり。
というか、自国語であっても、詩の場合、外国語や翻訳とそう変わらないくらい、違う言語的な部分が強いような。
まとめ
史実阮籍と竹林の七賢伝説阮籍を、まずは切り分けてからそれぞれの阮籍像は考えるべきなんじゃないかということ。
で、詩は史実阮籍像の有力な手がかりになると思ったり。
詩は技巧が評価されるタイプのもあるけれど。
阮籍はもともとそういうタイプでもないし。
阮籍の作品に現れた詩の精神は、阮籍の精神(阮籍の理想)と考えてまずは問題ないような。
阮籍は、不器用ではあったと思う。
ただし、器用さは小賢しさにすぎないと考えれば、それが阮籍の魅力のひとつではないかとは思ったり。
小賢しさが通用するのは所詮ぬるい時代でしかなく幻想に過ぎない――みたいな諦めというか世界観がある時代(東晋の人は同じ晋であっても西晋を批判的にとらえざるをえなかったんじゃないかとか)になって、阮籍はより彼らによって理想化されていったんじゃないかなとか。
竹林の七賢の一人として偶像崇拝的に親しまれる程度には。
小賢しくなければ滅びないのではなくて、小賢しく立ちまわってもなにしても滅びるときは滅びる……的なニヒリズムに相性がよかったとか。
阮籍については、あとは司馬昭、嵆康のことをもう少し考えたいけど、またあとで。
とりあえずおわり。