廖立が姜維に会った時期?
廖立伝眺めてて気になったところ。
姜維が廖立に会ったのがいつなのかについて。
(廖立伝)
於是廃立為民、徙汶山郡。立躬率妻子耕殖自守、聞諸葛亮卒、垂泣歎曰、「吾終為左衽矣!」
後監軍姜維率偏軍経汶山、詣立、称立意気不衰、言論自若。
立遂終徙所。妻子還蜀。
いつなのか気になったので昨日Twitterに書いたけれど。
いろいろ教えてもらったりしたので、とりあえず収録しておこうかなとか。
Tweetまとめ
とりあえず自分のTweet。
姜維が汶山で廖立に会ったのって、いつだろう。「監軍」なら243年以前かな。247年の汶山反乱の時ではなくて。
「聞諸葛亮卒、垂泣歎曰、「吾終為左衽矣!」後監軍姜維率偏軍経汶山、詣立、称立意気不衰、言論自若。立遂終徙所。(廖立伝)」
234-243だとしたらいつだろう。— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
@medamayaki1 この辺?「琬既遷大司馬(239)。以維為司馬,數率偏軍西入。(姜維伝)」
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
@medamayaki1 「監軍姜維率偏軍経汶山(廖立伝)」「數率偏軍西入(姜維伝)」なんとなく似てるし、汶山通って(242年1月までは涪でなく漢中から)西に出たってことなのかな。ただし廖立的に何年か気になるんだけど。
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
@medamayaki1 とりあえず239年3月(蒋琬大司馬)-243年10月(「六年冬十月,大司馬蔣琬自還漢中,住涪(後主伝)」「六年,遷鎮西大将軍,領涼州刺史。(姜維伝)」のどこか?
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
で、教えてもらったのとか。
@nyantarou0714 @medamayaki1 ニセクロさんの考察がこのあたりですね。https://t.co/6eGKLgUpMF 私は242年だと思います。
— 松浦桀 (@HAMLABI3594) 2016年8月12日
監軍?
で、質問関連がこれ。
監軍がよくわかってないので色々ありがたかったり。
@medamayaki1 単純に疑問なのですが、なぜ監軍なら247年が外れるのですか?
— Jominian (@Jominian) 2016年8月12日
@Jominian 「六年(243),遷鎮西大将軍,領涼州刺史」とあるので、この時監軍やめたんじゃないかなと単純に考えたからなのですが、正直この辺よくわかっていないので、そうではないということでしょうか?
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
@medamayaki1 監軍は将軍位でも、州職でもないので、諸葛亮時代の鄧芝らのように、それらと兼ねることができます。輔漢将軍ではなくなっていたでしょうが、監軍を辞めていたとは言えないかと。
— Jominian (@Jominian) 2016年8月12日
@Jominian すみません、質問なのですが、247年に監軍をやめていたとはいえないとしたら、姜維はいつまで監軍であり続けたと考えられるのでしょうか。
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
@medamayaki1 それは難しい質問ですね。確実な傍証は、後任であろう胡済が中監軍になった頃ですが、それが特定しがたいです。宰相たる録尚書事と監軍を兼任している例がないので、延煕十年正月から冬までの間と思っていますが、確証はありません。
— Jominian (@Jominian) 2016年8月12日
@Jominian ありがとうございます。「宰相たる録尚書事と監軍を兼任している例がない」ということなのですね。
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
@medamayaki1 監軍を監察職とした場合、その性質上、指揮官たる督との兼任はなさそうですが、中監軍が督左部を兼ねた例が、諸葛亮時代の鄧芝なのです。ただこれは、自身の督する左部とは異なる軍を監察すると考えれば不自然ではありません。そこからすると、督中外軍事とは兼任しないかと
— Jominian (@Jominian) 2016年8月12日
てことでいつ?
てことで、やりとりの結果、解釈的には一番確率高そうなのは、247年なのかなあ(247年も監軍の可能性あるということなら)とは思えてきたけど。
(姜維伝)
十年(247),遷衛将軍,與大将軍費禕共録尚書事。
是歲,漢山平康夷反,維率衆討定之。
というか、監軍がああいうことなら、ここにしておくことが一番「三国志」準拠としてはすっきりすると思うけど。
とはいえ、247年以外ありえないというほどでもなさそうなんじゃないかなとは思ったり。
まとめ
そもそもこれを調べてたのは廖立の小説書いてて、それを242-243年で書いてたという事情があったからだったり。
で、とりあえず247年以外間違いと決まったわけでもないなら、まあ書き直すことはないかなということにしたり。
まあ、その小説が、廖立が大熊猫になる話なのがあれともいえるけど……。
ただ、大熊猫話でもできるかぎり調べることはいいことなんじゃないかなとは思ったり。
大熊猫 – 帽子の中のふにゃふにゃな歴史 – カクヨム https://t.co/2mw5tMnGtM
更新しました。
山の日記念で「山月記」リスペクト(山の日は昨日だけど)。廖立が大熊猫になる話。— medamayaki (@medamayaki1) 2016年8月12日
おわり。