2016.02.12
3945文字 / 読了時間:4.9分程度
game

曹髦メモの記事に入れてたけれど、全然メモと関係ないので分離。

曹髦に関する好き嫌いについて、個人的に

個人的な趣味の話。

曹髦、この辺がすごく楽しい人だと思ったり。

(漢晋春秋)

帝自用剣

帝みずから剣をふるって立ち向かった。

曹髦好きな人ってどれくらいいるかは知らないけれど。
いても、曹操とか魏が好きとか、可哀想とかなのかなあ。

あと司馬氏の被害者として同情するとか?

とりあえず私は、個人的に被害者の立場がともかく好みじゃないので、そういう解釈はしたくはなかったり。
がっかりだし。

曹髦嫌いな人(これもどれくらいいるかは謎)は、無謀とかはた迷惑とかがきらいなのかなとも推測してみるけれど。
それも、無謀なことをしたりはた迷惑をかけるのも勝手だと思うし。勝手というのはその報いを受ける所も含めて。

少なくとも、無謀なことをしない、人に迷惑をかけないように心がける――とかいう人は、リアルでは大好きだけど、歴史上の人物として魅力出てきそうもないなとも。

曹髦に興味をもったのは、鍾会からだけど、鍾会ともども自分勝手に挙兵して勝手に自滅したところとか、似ているといえば似ている気がするし。

とりあえず、そういうところに自分は魅力を感じるんだなあとしか(リアルは別問題)。

三国志13曹髦プレイの思い出

そして三国志13の曹髦グラはこの「帝みずから剣をふるって立ち向かった」準拠の絵な気もするし、このイメージでひたすら一騎打ち(のための巡察)武将プレイしてみたら、かなり気に入ったのでそのメモ(というかほぼツイート収録)とかしてみることに。

三国志13の曹髦グラ、結構気に入ってたり。

宴会とかやるには物騒だけど。

曹髦の冒険

曹髦の冒険、結構楽しかった。

てことでがんばってくれたので、虞美人の顔グラも使えるようになったし。

自分の歴史上の人物の好みに関する考え

たまになんでなんだろうとは考えてみたくなったり。

ちなみに、嫌いな典型っていうのは特にないけれど、よくあるのが初見→苦手→後に好きな人物に気が変わる、というパターンはよくあるので、嫌いに思ってもいまいち嫌いきれないということにもなってたり。

たぶん、初見では曹髦も馬鹿じゃないのくらいだったかも……。

てことで。

とりあえず、上の三国志13曹髦プレイの流れから改めて気がついたこととか。

滅亡寸前の都市で魏延と朋友寸前(はじめての絆の予定だった)の幻の酒イベント発生して、一緒に洛陽に向かう途中で劉備軍が滅ぼされて曹髦も曹操に処断されてゲームオーバー――っていう流れ、ゲームオーバーだけど個人的には好きな展開だったな。

こういうお話あったら読んでみたいとか思ったり。

ただ、ゲームオーバーといってもスタートメニューに戻るだけじゃなくて、バッドエンディングも作ってほしかったけれど。
そういうのは自分の趣味にあっている気がするし。

てことで。
そもそもこういう展開が好きだから、鍾会とか姜維とか曹髦とかが好きになるのかも。

バッドエンド趣味?

バッドエンド好みなのかなあとか。今更だけど。

ただそう考えると、自分にしては珍しく主人公属性の人たちが好きだなあと不思議だった(小学生以来なので王道なのもそのせいかもしれないとも思ってたけど)演義の蜀の人たちも、考えてみればほぼ全員バッドエンド的な死に方ではあったっけ。

劉備→大敗して失意のうちに病死
関羽、張飛→いうまでもない
諸葛亮→秋風五丈原とかどうみてもハッピーエンドじゃないから好き
姜維→鍾会と同じ

趙雲とかはそうでもないか……でも、北伐成功しないで死んだからハッピーエンドではないのでokってことで……。

だから、ゲームの話にもどるけれど、こんな展開も楽しいと思えるのかも。

こんな迷走とか。

これより少し前だけど、上司が楊松ってだけとかでも不幸な感じが良かったり。

ついでに、李傕郭汜

李傕や郭汜も、最初は嫌い系だった記憶。

ていうか、李傕と郭汜の場合この顔グラ(12以降)が、解釈的にもすごく気に入ったので、それでなんか好きになってきていたり。

人生、全力で楽しそうな雰囲気が好き。

董卓軍は濃い人物が多いから配下になっても結構居心地よかったり。

それはそうと

とりあえず、自分の趣味を確認したところで終わりにしようかなと思ったけれど。

ただこの記事、カテゴリどうしようかな。

三国志雑感みたいなの(歴史、演義、ゲームその他混ぜたもの)作ってもいいけれど、めんどくさいから今はいいや。

バッドエンドは何故魅力があるのか

でも気になったので、バッドエンドは何故魅力があるのか――について多少考えてみたかったり。

ここで書くことかとも思うけどメモ代わりにざっくり書いておく。

最近読んだクンデラさんの言葉

小説とは、想像上の人物を通して眺められた実存についての考察なのです。

(『小説の精神』より

とりあえず実存的なものは、バッドエンド的な状況の方がわかりやすく浮かび上がりやすいのではないかということ。
ギリシャ悲劇もあんな展開ばっかりだったりするし。

だから、いろいろ人物が、よりわかりやすくなっていいんじゃないかなとか。

もう少し考えてみると。

思考実験?

あるいは、思い通りにならない環境に放り込んだときの、化学的反応への興味?
ある人物の心を知りたいと思えば、多様な環境においてそれぞれどうなるか確認してみたいから?

あるいは、思い通りにならないということに対する、これは真実だと感じる郷愁や親近感、安堵、愛惜といったもの?

そのような愛惜があるとするならば、それはあくまで理知や理性に属するものではないのか。

非現実的であってはならない――という教育的意志的な何か? あるいは教育というより哲学的意志というべきか。

成功とは失敗の反対ではなく非失敗、未失敗にすぎない的な世界観――があるとするならば、非バッドエンドは中途半端であると感じられるのではないか?

とりあえず終わり。









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Memo.Medamayaki

三国志他歴史、小説、ゲーム等に関するメモ用ブログ。

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