2016.02.11
2325文字 / 読了時間:2.9分程度
三国志

最近、また曹髦な気分。

てことで、曹髦の死の経緯について、まとめてみたいと思ったり。

曹髦の死の前の主な出来事一覧

てことで、時系列や季節や時間を勘違いしているといろいろ徒労になるのでメモ。

●259年(甘露4年)
正月 二匹の竜が出現 (高貴郷公本文)
 正月? 「潜龍」の詩作成 (漢晋春秋)

●260年(甘露5年)
正月朔日 日食 (高貴郷公本文)
 5月(曹髦の死の数日前) 石苞が曹髦に面会。 (世語)
 5月6日夜 雨。曹髦決起。殺されたとき雷雨。 (魏氏春秋)
5月7日 死去(享年20) (高貴郷公本文)

とりあえず、死んだのは陳寿は7日っていっていて、魏氏春秋では6日夜に決起したとあったり。

これは特に矛盾はないかな。
6日夜から7日にかけて、ということなら。

あと、魏氏春秋は、孫盛の著だったり。

孫盛、かなり主観的で好き嫌いが激しい上に、それを内容に持ち込んで創作することを厭わない人という印象ではあったり。

旧暦の5月だから、新暦ならだいたい月遅れ盆感覚で1ヶ月前にあたるだろうということで、季節感的には現代の新暦の6月くらいなのかも。
でもって、魏氏春秋では雨で、死んだ時には雷雨だったとか。

これについてどう考えるか。
孫盛による盛り上げるための創作なのか、別に天気については事実なのか。

この辺は、好きに解釈しても間違いにはならなそう。

ただ、夜の出来事だとしたら、それはありえそうではあるけれど、今までの視覚的なイメージとはちょっと違ったり。

曹髦の有名な「司馬昭の心は……」の台詞について

演義でもこの台詞はわりとそのまま登場していたような?(うろ覚え)

演義については今は調べる気力がおきないのでいいや。今必要なわけでもないし。

で、とりあえずこの台詞がどこに出てくるか。

漢晋春秋(習鑿歯)に出てくる言葉だったり。

原文はこんな。

漢晋春秋曰:
帝見威権日去,不勝其忿。乃召侍中王沈、尚書王経、散騎常侍王業,謂曰:
司馬昭之心,路人所知也。吾不能坐受廢辱,今日當與卿自出討之。」
王經曰:
「昔魯昭公不忍季氏,敗走失国,為天下笑。今権在其門,為日久矣,朝廷四方皆為之致死,不顧逆順之理,非一日也。且宿衛空闕,兵甲寡弱,陛下何所資用,而一旦如此,無乃欲除疾而更深之邪!禍殆不測,宜見重詳。」
帝乃出懷中版令投地,曰:
「行之決矣。正使死,何所懼?況不必死邪!」

ちなみにちくま訳だと「司馬昭之心、路人所知也」は「司馬昭の本心は、道行く人でも知っている」となっていたり。

漢晋春秋(習鑿歯)と裴松之と

ところで、ここで漢晋春秋を最初に引用した裴松之は、こんなふうに言っていたり。

臣松之以為習鑿齒書,雖最後出,然述此事差有次第。故先載習語,以其餘所言微異者次其後。

臣裴松之は考える。
習鑿歯の書(漢晋春秋)は最後にできたものであるとはいえ、この事件の叙述においてほぼ筋道が立っている
だからまず習鑿歯の記録を掲載した。……

裴松之は一番内容的に信用できるのは漢晋春秋(習鑿歯の書)だと言っていたり。

てことで、なら裴松之は漢晋春秋の曹髦関連のことをほぼ評価しているかというとそうでもなくて、ややこしい。

曹髦の葬儀関連について、こんな感じ。

漢晋春秋曰:丁卯,葬高貴郷公於洛陽西北三十里瀍澗之濱。下車數乘,不設旌旐,百姓相聚而觀之,曰:「是前日所殺天子也。」或掩面而泣,悲不自勝。

臣松之以為若但下車數乘,不設旌旐,何以為王禮葬乎?
斯蓋悪之過言,所謂不如是之甚者。

臣裴松之は考える。
もしもみすぼらしい車が数乗つき従うだけで、柩に先行する旗もしつらえなかったのならば、どうして王の礼式によって埋葬したといえようか。
これは多分このことを快く思っていない者が、過剰に表現したのであって、それほどひどいものではなかったといえよう。

ここでは、裴松之は漢晋春秋(習鑿歯の書)の内容について、否定的に述べていたり。

漢晋春秋の記述はすべて習鑿歯の価値観に基づくとは限らないけれど。習鑿歯が利用したものの性格をそのまま引き継いでいるだけという可能性もあるわけで。

とはいえ裴松之の「斯蓋悪之過言(これは多分このことを快く思っていない者が、過剰に表現したのであって)」に該当するのが、習鑿歯でないともいいきれないような。他の箇所みないとなんともいえないけれど。

ただ、もし習鑿歯がこのような価値観をまったくもっていなかったら偏った解釈だと考えて、そういったものを自分の著作に利用することはないと思えるので、たぶん習鑿歯はだいたいはこのように考えていたとみなしていいってことでいいや。とりあえず。

となると、裴松之が「然述此事差有次第」といって、一応最初に引用するに値すると評した漢晋春秋の曹髦の死に関する出来事の内容も、習鑿歯のそういった価値観がそれなりに反映している可能性はあるんじゃないかとは思ったり。

まとめ

それにしても、こんなことをメモしているのは、曹髦で小説書きたくなって(てか書きはじめて)いて、それでたんなる勘違いをもとに書いたら徒労になるってことで、ちゃんとメモしておこうと思ったからとか。

そういえば、石苞のことも流れに入れておいたけれど、これが関係あると考えるか特に関係ないとみなすかは、少なくとも創作解釈的には好きにしてよさげ?
少なくとも今思いつかないしいいや。

それよりは、鄭玄は他の所で出したかったので、鄭玄の子のことで繋げられるかもしれない。
あるいは、今回はとりあげなくてもいいかもしれない。

調べたものをどうするかはまた別。
ただ、調べてから無視するのと調べてなかったとか勘違いしてたというのでは気分的にかなり違いは出てくるので、自分なりに調べることは必要なのは確か。

とりあえずおわり。

(一部記事分離)





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