ミラン・クンデラの小説『不滅』。
ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』がベストセラーで有名だったけれど、長いあいだなんとなく悪い方への偏見があって少なくともまともに読んでなかったり。
それでも、とあるきっかけがあって読んでみたら、良い本だったという感じ。
クンデラの個人的見直し(見直しっていうとなんか偉そう……)のきっかけはTwitterの名言botだったので、自分でも名言系botいくつも作るくらいには好きだけど、やっぱり役に立つとは思ったり。
最近、Twitterのbotは運が悪いと凍結されるし、公式には好かれてないとは感じてるけど……。
てことで、『不滅』の感想とか。
半年前くらいに書いたものだけど、ブログどこに書くか決まってなかったので、たぶんまだどこにも公開してないはず……。
ミラン・クンデラ「不滅」感想
届いたクンデラの「不滅」読み始めてるけどおもしろいので幸せ。
— medamayaki (@medamayaki1) 2015, 6月 9
存在の耐えられない軽さ――がなんか有名で、装丁の印象もあって、単なる雰囲気だけの薄っぺらいおされ系小説だと思って敬遠してた……。
てことで好きな作家に出会えたことは幸せ。
細部が魅力なんだけどそういう作家は好きで、この人もそういう作家だったのでうれしい。
で、それ以外で、この小説で特に気になったところ。
主人公(?)、話の中心になるアニェスという人。
これは、これが書き手であるという「私」によって作られた作中人物だと語られているということとか。
彼女の仕草がそのとき私のなかに途方もなく大きな、わけの分らないノスタルジアを呼びさまし、そしてそこから、アニェスという名を私がつけた作中人物が分娩されたのである。
小説の登場人物が作者の生み出した作中人物なのは当然ではあるけれど、それでも小説の中では実在の人物として扱うのが一般的だし。
あと訳文として気になったところは、女性の会話文がいつの時代、みたいなところくらいかな。
でもこれは海外小説翻訳小説の醍醐味くらいに思っておけばいいのか。
受け付けないレベルじゃないし。
「そしてそこから、アニェスという名を私がつけた作中人物が分娩されたのである」ということが、作中で書かれていること、登場人物に対するこういう扱いは新鮮な気はしたり。
おわり。