2016.01.11
4161文字 / 読了時間:5.2分程度
三国志

最近、三国志で興味ある人物の一人が、蒋琬(蔣琬、蔣エン、蒋エン)だったり。

てか、「蒋琬(蔣琬、蔣エン、蒋エン)」って書いたけれど、蒋琬関連の自分のメモがこんなかんじに表記揺れしていることもあって、すごく探しづらかったり……。

最近この表記揺れに気づいたっていう。

で、最近特に蒋琬に興味がわいた一番の理由はというと、要するにこの辺関連のことだったり。

死後、神仙になった蜀の四相?
鍾士季含む五瘟神関連資料(蒋琬)

▼大鬼(疫病神的)になった蒋琬?

瘟神の鍾会(鍾士季)について調べてたら、思いがけず蒋琬の名前を発見したり。

この論文。

唐代瘟神「五帝」考 -御霊信仰の源流-
山口建治
20-Mar-2014
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/handle/10487/13032

ここで引用されている『太上洞淵神呪経』に、鄧艾、鍾士季とかと一緒に蒋琬(蔣公琰)の名前があったのですごく気になっている感じ。

巻七 道君がいう。「国土に大鬼主鄧艾、鍾士季、趙山、王莽、李敖、杜週、劉斗烏、王離、夏侯嬰、蔣公琰、南陽葉公里、夏檀支、蕭何、申屠伯、韓信、田進、樑洪、高沛、孫溫、司馬迥、劉元達あり。これらの大鬼が世人をそそのかし、武帝文王を祠祀させ、世間で供養し、立祠が絶えない。おのおの兵馬あり、天下の人のために祟りを作し、祟病殺人す。年年月月、千万種の病をはやらせる。
……

(道言、國土有大鬼主鄧艾、鍾士季、趙山、王莽、李敖、杜週、劉斗烏、王離、夏侯嬰、蔣公琰、南陽葉公里、夏檀支、蕭何、申屠伯、韓信、田進、樑洪、高沛、孫溫、司馬迥、劉元達。有此大鬼、主令世人、或有祠祀、武帝文王。世間供養、立祠不絕。各各有兵馬、為天下人作祟、祟病殺人。年年月
月、行千万種病。

てことで、ここでは蒋琬は「大鬼」のひとりとして名前が挙げられていて、鄧艾や鍾士季と並んで、「これらの大鬼が世人をそそのかし、おのおの兵馬あり、天下の人のために祟りを作し、祟病殺人す。年年月月、千万種の病をはやらせる」という疫病神(瘟神)的なことをしていることになっていたり。

▼蒋琬の死は悲運の死だったのか?

また、ここで名前が挙げられた人名(大鬼主鄧艾、鍾士季……)について、この論文ではこんなふうに言われていたり。

個人名のついた鬼主が生前どのような人物であったのか今では分からないのもあるが、多くは敗軍死将の亡魂であったのであろう。

つまり、概して疫病神になる人物は不幸な死に方をした人物ということらしい(鄧艾、鍾会は殺されてるから敗軍死将で確かに該当)。

それで気になるのが蒋琬の死についてだったり。

蒋琬の死因は殺されたわけではなくて病死だけれど、どこかに悲運的に解釈されることがあったのかなとか。

それはそうと、蜀の四相でまとめられる四人(諸葛亮、蒋琬、費禕、董允)のうち非業の死といえるのは費禕(刺客に殺された)だけだけど、蒋琬なのかっていうところもなんとなく気になったり。

▼蒋琬の死の性質について考えてみる

てことで前置きが長くなったけれど、蒋琬の死の解釈について少し考えてみたくなったり。

とりあえず蜀での出来事の流れを後主伝で確認。

(後主伝、蒋琬関連)

(建興)十二年(234)春二月、亮由斜谷出、始以流馬運。秋八月、亮卒渭濱。……。
以丞相留府長史蒋琬為尚書令、總統国事。
(建興)十三年(235)……夏四月、進蒋琬位為大将軍。
延熙元年(238)……冬十一月、大将軍蒋琬出屯漢中。
(延熙)二年(239)春三月、進蒋琬位為大司馬。
(延熙)四年(241)冬十月、尚書令費禕至漢中、与蒋琬咨論事計、歳尽還。
(延熙)五年(242)春正月、監軍姜維督偏軍、自漢中還屯涪県。
(延熙)六年(243)冬十月、大司馬蒋琬自還漢中。十一月、大赦。以尚書令費禕為大将軍。
(延熙)七年(244)閏月、魏大将軍曹爽、夏侯玄等向漢中、鎮北大将軍王平拒興勢囲、大将軍費禕督諸軍往赴救、魏軍退。……秋九月、禕還成都。
(延熙)八年(245)……十二月、大将軍費禕至漢中、行囲守。
(延熙)九年(246)夏六月、費禕還成都。秋、大赦。冬十一月、大司馬蒋琬卒。

でもって蒋琬伝と付きあわせてみると。

238年の「大将軍蒋琬出屯漢中」関連は、蒋琬伝ではこんな感じ。

(蒋琬伝)

延熙元年、詔琬曰、「寇難未弭、曹睿驕凶、遼東三郡労其暴虐、遂相糾結、与之離隔。睿大興衆役、還相攻伐。囊秦之亡、勝、広首難、今有此變、斯乃天時。君其治厳、總帥諸軍屯任漢中、須呉挙動、東西掎角、以乗其畔。」

延煕元年(238)、蒋琬に詔が下された。
「戦火はいまだおさまらず、曹叡(魏の明帝)は傲慢で凶暴な男である。遼東の三郡はその暴虐に苦しみ、ついに糾合して、彼から離反するに至った。曹叡は大群を動員してふたたび攻撃をしかけている。昔、秦が滅亡したのは陳勝・呉広の反乱が口火となった。現在のこの事変は、これこ天のあたえる好機である。君よ、さあ戦いの準備をととのえ、諸軍を統帥して漢中に駐留し、呉の行動開始を待って、東西より相い呼応して、敵の隙に乗じよ。」
さらに蒋琬に命じて幕府を開かせ、翌年任地に使者をやって大司馬の官を加えた。

呉と共同作戦をする目的で、蒋琬は漢中に来たらしい。

その結果がどうなったかについて、数年後の蒋琬伝。

(蒋琬伝)

蒋琬は命令を受けると、上疏して述べた、
「……
ご命令をかしこみ漢中に駐屯するようになってから、すでに六年が経過いたしました。
臣は暗愚なうえに、疾病にかかったため、計画を成就しえず、朝夕悩み心を痛めております。
もしも東西が力を合わせ、前後相い呼応したならば、すぐに目的を遂げられないとしても、とにかく(魏の)領土の一宇を切り取って蚕食し、先に彼らの仲間を打ち砕いておくことはできるはずであります。
ところが呉は約束を違え、くり返し決行をためらいました。
起居にもそのことを思って苦しみ、実に寝食を忘れるほどです。
……」
この上奏の結果、蒋琬は涪まで引き返して駐留することになった。

琬承命上疏曰、
「芟穢弭難、臣職是掌。自臣奉辞漢中、已経六年、臣既闇弱、加嬰疾疢、規方無成、夙夜憂慘。今魏跨帶九州、根蒂滋蔓、平除未易。若東西並力、首尾掎角。雖未能速得如志、且当分裂蠶食、先摧其支党。然呉期二三、連不克果、俯仰惟艱、実忘寝食。輒与費禕等議、以涼州胡塞之要、進退有資、賊之所惜;且羌、胡乃心思漢如渴。又昔偏軍人羌、郭淮破走、算其長短、以為事首、宜以姜維為涼州刺史。若維征行、銜持河右、臣当帥軍為維鎮繼。今涪水陸四通、惟急是応。若東北有虞、赴之不難。」
由是琬遂還住涪。

呉が約束を守らなかったので、そのことで蒋琬は相当呉に対して頭にきていた様子。

これは、後主伝によると243年の「冬十月、大司馬蒋琬自還漢中」の年に相当するはず。
蒋琬が「自臣奉辞漢中、已経六年」といっているけど、238年(漢中に来た年)を1年目と数えれば243年で計算合うし。

そして、蒋琬は涪に戻ってからは、病気のためか、後主伝を見ても特に何もしていない様子。

蒋琬は大司馬のままだったけれど、大将軍になった費禕が蒋琬の後任として漢中であれこれやってたり。

で、涪の蒋琬。

(蒋琬伝)

この上奏の結果、蒋琬は涪まで引き返して駐留することになった(243年10月/後主伝)。
病気がますますひどくなり、九年(246年11月/後主伝)に至ってなくなった。

由是琬遂還住涪。
疾転增劇、至九年卒、謚曰恭。

蒋琬伝だけをみると、涪に来てわりとすぐ病死しているように一見みえるんだけど、後主伝と付きあわせてみると、涪に来て3年後に病死していたり。

▼蒋琬の死は悲運の死だったのかについて

蒋琬の物語、というと飛躍するかもしれないけれど。

とりあえずそれをまとめようとしてみると。

――蒋琬は、諸葛亮の死後、北伐するために諸葛亮と同じように漢中に駐屯した。
――しかし呉が約束を守らないせいで北伐が実行できず、蒋琬はそれを恨みに思いながら病にかかり北伐の志半ばに死んだ。

こう考えると、蒋琬の死に方は、諸葛亮の死の性質に、結構似ているような印象を受けたり。

そして諸葛亮の志半ばにして五丈原で死ぬ死に方は、後世、悲運、悲劇的として扱われていることを考えれば、蒋琬の死もそれと同じような受け取られ方をしてもそれほど不思議ではないのではないか、とか。

というわけで、非業の死を遂げるとなりやすい疫病神(大鬼、瘟神)に蒋琬がなったというのも、蒋琬の死を悲運の死と考える人々がいたと考えれば、それなりに納得いくことなのかも、とか。

▼ついでに、諸葛亮の後継者?

演義では諸葛亮の後継者として描かれているのは姜維だけど。

姜維は少なくとも諸葛亮とそれほど似ていない気はしたり。

実際に北伐したのは、諸葛亮と姜維だから演義でそうなるのはわかるけれど。

ただ、諸葛亮の後継者はいたのかと考えると、同じ蜀の四相のなかでみても、費禕は違うだろうし(北伐したくない?)、董允も違うだろうし(やってることその他)、もっともふさわしいといえるのは蒋琬ではないかと思ったり。

北伐しようとしていたこととか(船作ったのも、呉があてにならなくて予定していた東西呼応ができなくなったからなら自分で東もやると考えたとか?)、死に方とか、その辺が似ているんじゃないかなあ、みたいな。

▼まとめ

てことで。

とりあえず蒋琬はなんとなく内政の人なイメージが、主にゲーム的のパラメータ的にあるけれど。
政治が高くて便利とか。

でも個人的にはもう少し戦闘もできる能力値にしてくれるとゲーム的に遊べるなあとか。
蒋琬は実際に大将軍とか大司馬とかだったわけだし。

てことで、武将プレイの三国志13で北伐する蒋琬とかやってみたいなあとか思いついたり。

まあ、後期シナリオないんだけど。

おわり。









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