2016.08.31
5090文字 / 読了時間:6.4分程度
novel_memo

近況

三国志っぽい短編小説、短編集にしてみたらけっこう捗るー(当社比)。

カクヨム見ると、長編連載(続きはそのうち)中の易的な死を抜く文字数になった。

短編集の書き方の方が、自分の体質にはあってるのかもしれないとは思ったり。
まあ、長編は長編で好きだから、長編書きたい気分になったらまた書くけど。

現時点、「優しい世界」までで 21,495文字。

8月中?

8月中に、この短編集連載開始前に書きかけていた短編2つ「漢中飯店」「帽子の中のふにゃふにゃな歴史」も仕上げたい、と思ってたのは確か。
でも、その後、新しいアイデアが思い浮かんだからそっちを優先した(そのほうが効率いい)のもあって、結局この2つを今日中にとか無理無理無理無理ーって感じ。

まあしかたない。

ただ、漢中飯店はともかく、帽子の中の方は、短編集の表題になっていること自体はあんまりどうでもいいかもしれないけれど、単に季節的に早めにしあげたいかなあとは思っていたり。
とはいえ、「優しい世界」の後、さらに2つ(没になりそうなのを含めれば3つ)新規の在庫(下書き済)が増えているので、優先するのはそっちだろうなあとか。

タイトルのこと

短編集なので、沢山タイトルを付ける必要がある。

タイトルは気に入ってるのは気に入ってるし、微妙なのは微妙。
つけるのが好きなときもあれば、めんどくさい時もあって色々。

で、タイトルが説明になっているのは、趣味的には好きじゃなかったり。

SEO対策的な発想のタイトル、タイトル自体も作品の一部(つまり文学作品?)として考えるならがっかりだし。
てことでどうせ趣味で書いてるのにわかりやすさとか必要ないよねってことで、内容説明をタイトルにいれるのはとりあえずやらない予定。

ただ、問題もなくはなかったり。

内容がわかりにくいタイトルをつけると、自分でどれにどんなことを書いたかわかりづらくなるっていう……。

「優しい世界」は魏延と楊儀の話。
「大熊猫」は廖立の話。

短編集一番最初に(今のところ)載せてある「馬前課の埋め方」は、多少タイトルの付け方が違うかも。これは最初独立した短編作品として公開したものだし。

今から付け直すとしたら、馬前課とか、馬とかそんなかなあ。

まあいいや。

なので、シンプルなタイトルは本人的にかっこいいけど、本人が混乱する(公開後のはともかくOneNoteの見出しがわけわからなくなってるのが問題)というのもあるので、その辺のバランスも大事なのかも。

次の短編「京観」あるいは「京観の調査」

次に公開予定というか今仕上げ作業中なのが、タイトル「京観」あるいは「京観の調査」のどっちにしようか迷っている短編だったり。
この短編集に入れているものにしては長いので(8000文字前後)、分割しようかとか考えているけれど、そうなると前半がぶつ切りすぎるなあってことで、やっぱ分割は無理そうかな。

結局長くなると仕上げが混乱するので、自分の頭を少ないメモリで動かしているPCみたいなものだと考えれば、2000文字程度を1区切りにして(別に全部、2000文字の短編にしようってわけではなく)作業できるようにしたほうがいいのかも。

この京観は鄧艾がたてた京観だけど、鄧艾は出てこない(鄧艾がたてたというだけ)、孫盛と諸葛瞻親子の話。

このあいだ書いたブログ記事は(白い毛)これのために調べたものなんだけど、内容間違ってる……。

単位勘違いしるんだけど、書きなおそうーと思ってるけど、それより小説優先したほうがとか、少ないリソースだからいろいろ割り振りが手間ではあったり。

そういえば、事典の孫盛ももう少し書き足したい。

晋書の孫盛伝、実質訳みたいなものはここにあって便利。

CiNii 論文 – 
孫盛の歴史評と老子批判
http://ci.nii.ac.jp/naid/120000872705

とか書いといたほうがいいかなとか。

リンクははってあるけど、その情報は書いてないし。

つまり、自分でも忘れてたから書くべき。

話がそれた。

てことで、この「京観」(仮)は今日中、つまり8月中に公開したいけれど、間に合うかなあ。

仕上げながら加筆とかしていたので、これやりはじめるとまだいつまでたっても終わらなくなる。

孫盛は最近わりとマイブーム。

見なおして「優しい世界」冒頭から出ていることに気がついた(記憶力いろいろひどい)。

京観も孫盛、次のは孫盛でてたっけ……出てなかった。こっちは陳寿が出てただけ。

そのうち、自分用に何がどうなってるかメモ作ろう。

ただその次はまた孫盛の話書きたいなあとか。

蜀に来た孫盛の設定は色々おいしいと個人的に思ってたり。

中国の演劇について調べ物メモ

それで疑問に思ったこと。

中国の演劇の歴史ってどれくらいだろう。

「中国 演劇 歴史」で調べてみた。

中国演劇
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%BC%94%E5%8A%87-97173

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中国演劇

……

戯曲の起源

中国においても演劇的なものの起源は原始時代の歌舞である。それは氏族社会の狩猟や農耕の儀式として始まったが、階級社会に入ると帝王、貴族のための純粋の娯楽となっていった。西周の末年(前771)ごろには貴族に隷属して娯楽の提供を専業とする優(ゆう)が出現する。今日の俳優の起源である。漢代(前202~後220)にはすでに『東海黄公(とうかいこうこう)』のように術士と白虎(びゃっこ)の格闘という物語をもった、民間の武術競技から発展した角觝戯(かくていぎ)が現れ、三国六朝(りくちょう)にはこれと結合して『大面(だいめん)(蘭陵王(らんりょうおう))』『踏揺娘(とうようじょう)』などの歌舞ができる。まだ歌舞や角觝(相撲)が主で、筋を語るのは従であるが、総合化への一歩前進がみられる。一方、優の演技が様式化すると、参軍、蒼鶻(そうこつ)の二つの役柄でおもに対話で滑稽(こっけい)と風刺を演ずる参軍戯(さんぐんぎ)が生まれた。日本の正倉院の伎楽面には6世紀の『荊楚歳時記(けいそさいじき)』が記す長江中流域方面の追儺(ついな)のそれに合致するものがある。周漢以来のもろもろの大衆芸能や見せ物芸の百戯(ひゃくぎ)も、6、7世紀に朝鮮を通って日本に伝わり、散楽としてわが国の芸能の発展に本質的な影響を与えた。歌舞はやや遅れて7世紀後半から伝来し、上述の3曲はそれぞれ舞楽『陵王(りょうおう)』『抜頭(ばとう)』『胡飲酒(こんじゅ)』として今日まで伝承されている。……

てことらしい。

少なくとも三国六朝の頃は、演劇はあったけれど、大して資料が残っていない(創作的には好都合といえば好都合)って認識でいいのかな。

孫盛が蜀の古老にあった話はまだ書いていないから次それ書きたい。
そして、結構昔の中国映画「北京好日」が好きで(京劇好きな老人の話)、そんな雰囲気の。

今、仕上げ作業中で(ブログは頭の整理用)次の書いている余裕はない(それはじめたら、今のが仕上がらなくなる)から、メモ。

タイトルは、成都好日か、あるいは今書いている京観に出てくる一部の設定をひきついで成都飯店か、どっちかにしよう。

京観公開できそう

12時13分、とりあえず下書き終わった。
自分的にはこれでOK。
ただ、備考書いてないので、公開は夜かな。
その下書き、とりあえずここに書いておこうかな。

「京観の調査」備考

鄧艾……魏の人。姜維と何度か戦って破り、蜀を滅ぼした(263)。綿竹で諸葛瞻、諸葛尚と戦って勝利した。綿竹に戦勝記念として京観を建てた。「使於綿竹築台以為京觀,用彰戦功。士卒死事者,皆與蜀兵同共埋藏。(鄧艾伝)」。
京観……けいかん。戦勝記念のために敵の死体を集めてつくる大きな築山のようなもの。三国志関連では、司馬懿や鄧艾が京観を築いた。春秋左氏伝などにも登場する。「古者明王.伐不敬.取其鯨鯢而封之.以為大戮.於是乎有京觀.以懲淫慝.(その昔、聖明なる王は不敬の国を攻め、その首魁を捕らえるや、上に塚を盛り上げて処刑を果たされた。この時以来、不敬の輩を懲らしめるための京観(大きな築山)がはじまったのである。)(宣公十二年)」。
桓温……東晋の人。蜀(成漢、後蜀)を滅ぼした(347)。孫盛の上司でもある。
孫盛……東晋の人。歴史家。桓温の蜀征伐に従って蜀に来た(347)。孫盛が姜維をかなり気に入らないらしいことは、姜維伝の注に引かれる姜維を擁護する郤正論文への彼の反論等から伺える。
諸葛尚……蜀の人。諸葛亮の子諸葛瞻の子。綿竹で父と共に鄧艾と戦い戦死した。死ぬ前、黄皓を殺さなかったのが悪いと言ったらしい。
諸葛瞻……蜀の人。諸葛亮の子。綿竹で鄧艾と戦い戦死した。死後、西晋の時代、諸葛瞻と似た顔の人物が晋に反乱を起こしたらしい(四年故中軍士王冨有罪逃匿密結亡命刑徒得數百人自稱諸葛都護起臨卭轉侵江原江原方畧吏李髙閭術縛冨送州刺史童策斬之初諸葛瞻與鄧艾戰扵綿竹也時身失䘮或言生走深逃親兵言富貌似瞻故冨假之也/華陽国志・大同志)。https://www.kanripo.org/text/KR2i0003/008#txt
白い変な草……華陽国志・大同志にある「地生毛」をとりあえず草という解釈をしたもの(八年三蜀地生毛如白毫三夕長七八寸生數里/華陽国志・大同志)。
姜維……蜀の人。蜀滅亡の際には、剣閣で鍾会の大軍を防いでいた。孫盛による姜維評価は厳しい。「鄧艾が江由へ侵入した際、軍勢は少数であったにもかかわらず、積極的には姜維は綿竹における戦いに参加して忠節を誓うこともできず、消極的には五将を指揮して蜀の君主を護衛しつつ、今後の謀りごとを立てることもできなかった。しかも順(魏に帰順したこと)・逆(反乱に参与したこと)の間をいったりきたりし、期待し難い機会をつかんで、鍾会の厚情を裏切ることを考え、衰弱した国力をもって、何度も三秦(関中)に圧力をかけてみたり、滅亡した国をもって、道理にはずれた成功を収めようと望んだりした。なんと愚かなことよ。(姜維伝注)」。裴松之は「孫盛の姜維に対する避難はやはり妥当ではないと考える。……」と、孫盛の批判には無理があるという意見を述べている。また、郤正の姜維擁護論文にも孫盛は反論していて、これも裴松之に孫盛の批判は無理があると指摘されている。「姜維は魏朝の官禄をはみながら、蜀朝に出奔し、主君に背き利益に走ったのだから、忠ということはできない。親を見捨てて危険を免れようとしたのだから、孝ということはできない。故国に害を加えたのだから、義ということはできない。国が敗れながら危難に命を投げ出さなかったのだから、節ということはできない。そのうえ政治の恩恵がまだゆきわたっていないのに、民衆を疲弊させ武力をふるい、防禦の任務につきながら、敵を招きよせ拠点を失った。その智と勇についても特筆すべき何事もない。およそこの六点(忠・孝・義・節・智・勇)のうち、姜維はなに一つ所有していないのである。まことに魏朝の亡命者、亡国の乱相である。それを人間の模範と称すとは、なんと見当はずれであることよ。たとえ姜維が書物を好み少々清潔な生き方をしたとしても、いったいあの盗んだ物を貧乏人に分けてやるような盗人の道義心や、高い官位を降りようとした程鄭の善行と異なろうか。(姜維伝注)」
鍾会……瘟神(疫病神)になった鍾会はずっと生き続けているという設定。
ザナドゥ……元の上都のこと。
マルコ・ポーロ……「東方見聞録」の人。元に来た。
カプチーノ……エスプレッソの飲み方の一種。

まとめ

仕上げ作業が苦手すぎ。
でも、一番好きな作業である新作を書き始めるのにとりかかりたいし、早くしあげたい。

追記。

今日中(今月中)に公開できたー。

おわり。









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