さらに諸葛瞻について。
諸葛瞻タグつけようか考え中。
黄祟伝の諸葛瞻が無能に見える点をどう処理するか
諸葛瞻が実は有能説をすすめる場合これを都合よく読みかえる必要はある。
(黄権伝)
権留蜀子祟、為尚書郎、隨衛将軍諸葛瞻拒鄧艾。到涪県、瞻盤桓未近、祟屢勧瞻宜速行據険、無令敵得入平地。瞻猶与未納、祟至於流涕。会艾長駆而前、瞻卻戦綿竹、祟帥厲軍士、期於必死、臨陣見殺。
まあ、これは黄祟伝で黄祟より視点だからこうなっただけ、といえばなんとかならなくもない。
諸葛瞻わりと有能説自体は、歴史解釈としての妥当性というよりは創作的な可能性の話なので、まあ辻褄さえ合わせられれば特にだめってわけでもないけれど。
辻褄が苦しいのは微妙。
ただしなかったことにするのは歴史物として微妙になる(それは出鱈目だという解釈をとるならいいけど)。
あれもこれも無視して、固有名詞いくつかしか痕跡残っていなかったら、少なくとも歴史趣味成分は減る。
それがつまらないかとはまた全然別問題だけど。
諸葛瞻について考えたい
ただ、諸葛瞻についてもう少し自分なりに掘り下げたいと思う理由。
諸葛瞻は諸葛瞻なりの計画とか考え自体もたいしてなかったのかとか。正史を読むかぎり特に読み取れないと思うけれど。
とはいえ、そうではないと思いたいのは信者心理(孔明さんと蜀)が多少は入ってるかもしれないけれど、ただしそれ自体は問題ないと思う。
姜維好きだけれど、だから魏側の蜀には姜維しかいないという評価はうれしい(別に自分が褒められてるわけでもないのに)けれど、とはいえ対外的あるいは結果的にはともかく、可能性としてもそうだったのか、と考えると疑問は残る。
蜀に姜維しか人材がいないのは結果論にすぎないのかもしれないし、またそれは姜維がそうしようとしてそうなったということかもしれない。
そもそも陳寿は末期の蜀と晋に仕えた人物なので、当事者の一人である点は、この辺の記述を考えるときには一応頭にいれておかないとというところではあったり。
といってもこれを恣意的に運用すると結局自分の脳内設定に都合の悪いのは陳寿の曲筆ということにいくらでもできてしまうから、できるかぎり最小限にとどめておきたいものだとは思うけれど。
従兄弟の諸葛恪も諸葛瑾とはあまり似てないかもしれないけれど、強烈な存在感はある人物だったわけだし。
つまりIFとして、姜維が蜀にいなくなって諸葛瞻が実権を握った世界では、諸葛瞻は何をしようとしただろうかとか(黄皓の影響力も無視できるようになったとして)。
諸葛瞻がその構想を考えてもいないほど凡庸だったとは、書かれていることからも受け取れない。
政治理念とかマニフェストの内容みたいなものは、明文化されていなくてもそれぞれ一応持っていると思う。
あるいは、解釈として抽出することもできると思う。
その場合、諸葛瞻の政治理念はどのようなものだったのかとか。
まとめ
とりあえず今回はここまで。