2016.03.04
7244文字 / 読了時間:9.1分程度
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自分が好きな小説、あるいは人物とはどんなものか考えようとして、真っ先に思い浮かぶのは、形式的に小説ではないけれどギリシャ悲劇のソフォクレス(ソポクレス)の「ピロクテテス」だったり。
ソフォクレスでは「オイディプス王」が一番有名だと思うけれど、そしてあれも名作だと思うしだから風評被害を撒き散らしまくってるフロイトが相当嫌いなんだけど、それでも個人的には一番いいのは「ピロクテテス」じゃないかと思っていたり。

ソフォクレス「ピロクテテス」あらすじ

アガメムノンらによるトロイア遠征の時の話。
ピロクテテスは弓の名手として知られていて、ヘラクレスの弓を所持していた。自分勝手な理由でトロイア遠征をきめたアガメムノンにいやいや従ってピロクテテスはトロイアに向かうことになるが、途中蛇に噛まれた傷が悪化したため、ギリシャ軍に裏切られて無人島に置き去りにされる。
アガメムノンを筆頭にしたギリシャ軍を呪い続けつつ、自らの弓とその腕でかろうじて生き延び、十年の歳月が流れた。
トロイア遠征中のギリシャ軍は戦況が膠着するなかで、ギリシャの勝利にはピロクテテスが持つヘラクレスの弓が必要との予言を得る。
策士として知られるオデュッセウスがピロクテテスを呼び戻すことになり、アキレウスの子ネオプトレモスという若者を連れてピロクテテスの孤島を訪ねる。
オデュッセウスは策を巡らせ、若くピロクテテスとは面識のないネオプトレモスをピロクテテスに会わせ、ネオプトレモスにギリシャ軍への積年の恨みを打ち明け心を許したピロクテテスから目的のヘラクレスの弓を騙し取らせることに成功する。
ピロクテテスは、弓を奪われては命を繋ぐこともできないと、ネオプトレモスに弓を返してくれるように哀願するが、ネオプトレモスは同情しつつもギリシャ軍の勝利のためには返すことはできないと断る。そこへ、オデュッセウスが登場する。
オデュッセウスはピロクテテスに説得を試みるが、ピロクテテスは聞く耳を持たない。オデュッセウスは諦めて、別にピロクテテスはいなくてもよく弓さえあれば充分だ、と捨て台詞を残してネオプトレモスと共に退場する。ピロクテテスはオデュッセウスに怒り狂うが、どうしようもない。
場面は転換して、ネオプトレモスはピロクテテスを騙したことを恥だと思い、やはり弓は返すとオデュッセウスと口論になる。殺し合いになりかけたためオデュッセウスが勝手にしろというと、ネオプトレモスはピロクテテスのもとへ戻る。ピロクテテスははじめは疑い罵るが、ネオプトレモスはピロクテテスに、呪ってばかりいても無意味ではないか、ギリシャ軍のために共に戦おうではないかと正義を説く。しかしピロクテテスは聞き入れない。
ネオプトレモスは、今度は騙しているのではないということを示すために弓をピロクテテスに渡した瞬間、オデュッセウスが姿を現す。ピロクテテスはオデュッセウスを今受け取ったばかりの弓で射殺そうとするが、ネオプトレモスに止められる。ネオプトレモスは名誉が重要だと理由を話す。
その後、ネオプトレモスはピロクテテスに神に従うことの重要性を説く。彼はピロクテテスに、予言に従ってトロイアに向かえば名誉を得られるのになぜそう頑ななのかと説得を試みるが、ピロクテテスはやはり耳をかさずに死ねばよかったと嘆き、自分の敵はアガメムノンたちであってトロイアではないと拒絶する。
ネオプトレモスは諦めて立ち去ろうとするが、ピロクテテスは最初にネオプトレモスが来た時に約束したことを持ち出し、ギリシャに帰る願いを叶えてくれと頼む。ネオプトレモスが請け負ったところで、唐突に機械仕掛けの神ヘラクレスが登場して、ピロクテテスに神の予言を言い渡す。
ピロクテテスは、ヘラクレスの言葉に喜び、言われるとおりトロイアに向かうことを誓う。

あらすじ、がんばって書いた……。

史実というか神話のピロクテテスについてはこんな。

 →ピロクテテス

劇はここまでだけれど、ギリシャ悲劇は史劇でもあるから(神話の人物や英雄しか取り扱わない)ピロクテテスがどんな人物かは観客は知っていることが前提にできているわけで、ピロクテテスはこの後、予言どおりトロイア戦争で活躍した。

「ピロクテテス」の台詞にあらわれた人物像

あらすじだけでも魅力的だけれど、台詞自体も魅力的だったり。
ピロクテテス、すごく気に入ってるけれど(昔ブログに書いた気がする。パスワード忘れたけど)、この人物の魅力は台詞にもかなりあると思ったり。

そして、ピロクテテスという人物の頑迷さは清々しいほどで、多分そこが気に入ってるんだろうけれど、オデュッセウスの性格の悪さもこれはこれで魅力的だったり。

ピロクテテスの悪口雑言集

ピロクテテスがアガメムノンたち(アトレイダイ)をこれだけ呪うのは充分な理由はあるし、いってるとおりだとは思うけど。

(ピロクテテス)
私はこれほど無視され、はずかしめられて家にかえる。自分のものを、あの極悪非道のオデュッセウスに奪われたのだ。おお悪党め! しかしやつめといえども、二人のアトレイダイほどに悪いやつだとは思わない、……アトレイダイをにくむものは、天の味方、わたしの味方だといってよい。

(ピロクテテス)
そうだろう、悪がほろぶためしはない。神々は邪悪を愛し邪悪をそだてる。そしてどういうわけか、無法なものや邪悪のしみついたものをわざと冥府(ハデス)からつれもどし、善人や正義のものを次々に地上から闇の世界に追いおとす。神の御業をたたえようと思っても、神みずからが邪悪であれば、これはいったいどう考えればいいのだ、神のなにをたたえよというのだ!

(ピロクテテス)
ああまたきた、アガメムノンとメネラオスめ、おまえたち二人こそ、わしのかわりにこの苦しみを、十年のあいだ苦しむとよいのだ!

ピロクテテスとネオプトレモス最初の会話

(ネオプトレモス)
卑劣な人間が高潔な人よりも大切にされ、正直者が損をして不正直な男が勝つような世の中だ。

(ピロクテテス)
おお死よ、死神よ、一日にいくど呼んでも、どうしてきてくれないのか、
……
頼む立派な若者よ、わしも昔、その弓を貰うた礼に、ヘラクレスのおなじ願いをすすんでかなえてあげたのだ。

(ピロクテテス)
おお水よ、磯部の岩よ、……おおこの断崖の岩肌よ! わしの味方はおまえたちだけだ、ながい年月の友達よ、この訴えをきいてくれ。アキレウスの倅が、わしにこんなむごい仕打ちをくわえたのだ!

わしにはもう弓もない、生命もない。このわびしいかくれ家で、ひとりひぼしになるほかはない。

ピロクテテスとオデュッセウスの問答集

(オデュッセウス)
そうはいかん、こやつが返したくとも、わたしがゆるさぬ。おまえもついてくるのだ、いやなら引き立てていく

(オデュッセウス)
自分で這ていくのがいやならな

(オデュッセウス)
ゼウスさまがじきじきにな、わたしは、それを手伝うだけの人間だ。

(オデュッセウス)
わたしが行けというのだ、逆らわぬ方が身のためだ。

(ピロクテテス)
無念だ、わしの父は奴隷を生んだのか、わしには自由がないのか!

(ピロクテテス)
わしはいやだ。見よ、足もとの断崖を。これがあるかぎり、どんなに苦しくとも、わしはトロイアへはいかぬ。

(ピロクテテス)
おお口惜しい、わしの弓を手放したばかりに、こやつらの手におさえられた!
おのれ、……よくもまただましたな。

(ピロクテテス)
悪者め、昔わしをただひとり……この島に捨てていった。こんどはこうして無理矢理に、わしを縛って引いていくつもりだな! うぬ、畜生め、くたばってしまえ、いくど神にねがったことか、きさまがのたれ死にするように、だがわしの祈りはかなえられなかった。おかげできさまの悪運はつきず、わしには災難ばかりが重なった。それだのに、またわしはきさまやアトレイダイどもの手でもてあそばれるのか!

(オデュッセウス)
こやつの憎まれ口にこたえるのは造作ないが、いまは一言しかいう暇がない。わたしは臨機応変の人間だ、正義の士、高潔な男がいるときには、わたしよりもその役にかなった人間は見あたるまい。あらゆることにただ成功することだけが、わたしの宿望だ。
もうおまえの力を借りようとはおもわんが、この弓だけは貰っていく。

(オデュッセウス)
おまえがいなくとも不自由はない、おまえは機嫌よくレムノスを散歩しているがいい。

(オデュッセウス)
この弓がおまえに与えるはずだった栄冠は、いまにわたしのものになる。

戻ってきたネオプトレモスによる理性的なピロクテテス説得の言葉

(ネオプトレモス)
正しければいい、正義は知恵にまさるのだ。

(ネオプトレモス)
ネオプトレモス
人間は神のさだめに堪えねばならぬ、これは必然のことわりだ。しかしいまのあなたは、われとわが手で災難をまねき、それに身を任せている人間だ。それでは人の同情や憐れみを、期待するほうがまちがっている。

ピロクテテスは結局、トロイアに行くとは言わないけれど。

機械仕掛けの神ヘラクレス登場

唐突に機械仕掛けの神ヘラクレスが現れピロクテテスを説得、ピロクテテスは前言撤回し、喜んでトロイアに向かう。

(ヘラクレス)
予は 汝にゼウスの御心をつたえ、
汝の道をあらためんがために
大空の座をあとにして、ここにあらわれた。
こころして、予の言葉をきけ。

まず、予の運命の試練をいって聞かせよう。予がどれほどの苦しみにたえ、困難にうちかって、いいまそなたの眼にうつる、不死のアレテの主となったか。よく思うがよい、そなたにしても同じことだ。苦悩に満ちたけわしい運命は、苦しみぬいた生涯のはてを、栄えあるものとするために、神が与えた賜物だ。
 行け、この若者とともに、トロイアの城へ。……

(ピロクテテス)
……
ごきげんよう、潮にあらわれたレムノスよ、
どうかわしを安らかな、
咎ないよろこびの旅路にむかわせてくれ、
大いなる運命(モイラ)と、
友びとのまごころと、
これを嘉したもう全能の神が、
われらを迎えてくれる港まで!

※これがピロクテテスの最後の台詞。次には船乗りの締めくくりの台詞が3行あるだけ

ネオプトレモスの引用は少ないけれど、ネオプトレモスも決してオデュッセウスの手先ではない、存在感をもっていたり。

「ピロクテテス」を読み解きたい

自分なりに、だけど。

機械仕掛けの神ヘラクレスは何故登場したのか

機械仕掛けの神は、ご都合主義の代名詞のように理解されているけれども、少なくともこの悲劇における機械仕掛けの神ヘラクレスは果たしてご都合主義だったのか。

私の考えでは、そうではないと思う。

この記事の引用の出典は人文書院の「ギリシャ悲劇全集2」だけど、その冒頭の「ソポクレスについて」(高津春繁)で、「ピロクテテス」の結末について次のように述べている。

これはソポクレスが完成した意味に於ける悲劇ではない。『オイディプス王』に至るこの作者は冷いまでに作品を自分から引きはなして眺めている。すべては最後の悲劇へとむかい、そこへの道は一歩一歩と堅められて行く。しかし『ピロクテテス』にはその最後がない。……
最後に現れるヘラクレスも、単なる機械の上の神ではなく、劇のモティーフたる弓の持主であり、ピロクテテスを説得し得る唯一の人として、決して不自然な、とってつけたような感を与えるものではない。
しかし、それにしても、何故ソポクレスがここに余り用いない神の出現を利用したのかの問題は残るであろう。
彼はこうすることなしに、解決を求め得たはずである。例えば如何にも若者らしいまっ正直なネオプトレモスの最後の決意に、ピロクテテスが感動して、折れてもよいのである。が、こう考えるのは現代のわれわれの感じでもあるかもしれない。

ここでは、「決して不自然な、とってつけたような感を与えるものではない」と、一見説得力のある説明がなされている。
しかしすぐ直後で「それにしても、何故ソポクレスがここに余り用いない神の出現を利用したのかの問題は残る」と、さきほど不自然ではないといったヘラクレスの登場に疑問が呈されている。
そして、ソポクレスがかわりにとっても良さそうだと考える別の方法を提案する。それがネオプトレモスに感動してピロクテテスが折れるという結末である。

これを書いた人はもちろん尊敬しているけれどそれはそれ。

とりあえず、この代替案はどうかというと、興ざめもいいところだと思う。最後の現代人的感覚だというところは否定しないけれど。
現代人的感覚ではない(それは過去の遺物とか今より劣ったという意味ではない。単にここにはない世界や感覚という意味である)ものを求めて、古典を楽しむというのもあるわけだし。

ただ、この代替案は陳腐すぎて台無しだと思うし、ヘラクレスの登場は、ソフォクレスの才能だと思う。

それはどういうことか。

高津さんはピロクテテスはソフォクレスが完成した悲劇(最後の悲劇へと着実に向かっていく)の形式とは異なっていると評しているけれど、そうではなくて、このヘラクレスの登場とピロクテテスのその言葉への恭順自体をソフォクレスは悲劇的だととらえたのではないか――こんな風に受け取っているので、ヘラクレスの登場はソフォクレスの才能だと考えるわけあったり。

神への服従という正義(ネオプトレモス、一応オデュッセウス)と、権力に従うことへの拒絶と呪い(ピロクテテス)、その互いの相剋は、この作品の全体を覆いつくす主題だと思う。

そう考えると、最後にピロクテテスは悲劇を免れるのではない。
ピロクテテスはヘラクレスによって、自分がそれまであれだけ拘った自分の矜持や不服従の心(ヒュブリス)「例:(ピロクテテス)無念だ、わしの父は奴隷を生んだのか、わしには自由がないのか!」を完全に消滅させられたのである。
ピロクテテスは、自分の拠り所だったヒュブリスを、最後にヘラクレスという機械仕掛けの神の力によって打ち破られるのである。

ヒュブリスの敗北という悲劇

ヒュブリスという言葉を出すなら、この「ピロクテテス」という悲劇は、ヒュブリス(ピロクテテス)とヒュブリスの否定(ネオプトレモス、ヘラクレス)の相剋が主題だと整理することもできるかもしれない。

ヒュブリスが反ヒュブリスによって敗北し、跡形も無いくらいに蹂躙されるという悲劇。

それにしても現代的ということについてつけくわえるなら、このヒュブリスの否定は言い換えられなくもない。

とはいえ、ミュラーがやったように言い換えてしまえば、劣化にしかならない。
ミュラーの換骨奪胎した「ピロクテテス」については、現代的だから劣化なのかといえばそうではなく単に換骨奪胎したためにだしがらのようになったから、くらいにしか思えないけど。

ソフォクレスの意図は、自分では言い切れない。
ただ、ピロクテテスの最後の悲劇は、ギリシャ悲劇のなかでは珍しい種類の悲劇であるかもしれないにしても、現代人にとって決して共感できないものではないとは思ったり。

自分はピロクテテスのようではないと言い切れる立場の人間はどれほどいるのだろうか。
いることはたくさんいるだろうけれど。
ただ、自分はピロクテテスのようではないと言い切れる立場の人間はどれほどいるのだろうか――と考えるような人物は、現代では(でも?)珍しくはないんじゃないかと思ったり。

ソフォクレスは、死や破滅のようなわかりやすいところだけはなく、成功や栄光のようなところにも悲劇の影を見出したのではないか。
ヒュブリスの敗北自体に悲劇があると考えたのではないか。
それがこの「ピロクテテス」なのではないか。

そんな風に考えていたり。

ピロクテテス

おまけ

ついでにミュラーさんの興ざめ台詞の例。

おまえが最初と思うなよ、こんな厭なことを
やらされるのは。おれたちだってやらされたんだ。

俗っぽい発想。あるいは陳腐な発想。
ギリシャ悲劇の足元にも及ばない。ていうか比べるのもおこがましい。
ついでに、現代でも陳腐でないという点でもソフォクレスの足元にも及ばない。
あとついでに設定説明台詞すぎ。

これで、ミュラーの作品について古臭いソフォクレスを超えたみたいな言い方をする人がいたから、未だに根に持ってる。

ついでに、ニーチェ

ミュラーは見出しタグに名前出す気がおきないけど、ニーチェは違う。
才能的に当然だけど。

ここではこれ以上長く書きたくないけれど、少しだけ。

ニーチェ「悲劇の誕生」は詩的な文章の不思議な論文だけれど、ギリシャ悲劇理解度自体は深いと思う。

悲劇の魅力はディオニュソス的陶酔というと詩的な表現すぎて、それはつまり何かの説明が欲しくなる。
クンデラとかそういうのうまいなって思うし、それが知性なんだと思うけど。

自分なりに説明できるようになりたい、というかつまり自分なりに整理したい。

まとめ

ギリシャ悲劇が好きだったり、現代的にいえばバッドエンド好きだったり、だいたい殺されたり、思い通りにいかない人物が気にいるのはどうしてかとたまに考えるけど。

とりあえず「ピロクテテス」は好きだし、でも登場人物はピロクテテスだけでなくオデュッセウスもネオプトレモスも魅力的なのでソフォクレスは天才だと思ったり。

心が洗われるー。

という感じで、好みの原点の一つではあることは確か。

ついでにここでは関係ないけれど、三国志的にいえば、鍾会とか曹髦とかが好きなのは、ヒュブリスの敗北というさっき見出し用に考えた概念に合致するからかもと思ったり。

(追記)
エッセイ形式にして、全面書きなおしてカクヨムで公開してみたり。

おわり。





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