これも陸凱伝。
陸凱伝
子禕。
初為黄門侍郎、出領部曲、拜偏将軍。凱亡後、入為太子中庶子。
右国史華核表薦禕曰、
“禕體質方剛、器干強固、董率之才、魯粛不過。
及被召当下、逕還赴都、道由武昌、曾不回顧、器械軍資、一無所取、在戎果毅、臨財有節。夫夏口、賊之沖要、直選名将以鎮戍之、臣竊思惟、莫善於禕。”右国史であった華覈が上表をし、陸禕を重く任用すべきだと推薦して次のようにいった、
「陸禕は、その天与の資質が剛直であり、くじけることのな実行力を備え、人々を率いていく才能は、魯粛だとて彼に勝るものではございません。……
陸凱の子陸禕を華覈が褒めてたり。
で、気になったのは「魯粛不過(魯粛だとて彼に勝るものではございません)」の部分。
魯粛を引き合いに出すのは魯粛をそれなりには評価している、あるいは名声があるとは認識しているんだろうけれど。
ただ、結局比較して下げているのは確か。
魯粛の華覈の評価ではあるけれど、当時の魯粛はそういう引き合いに出して構わない感じだったのかなとか。
おわり。
(旧ブログ2014.8.27記事移転)