2016.03.22
3363文字 / 読了時間:4.2分程度
三国志

費禕暗殺を費禕殺人事件として考える

費禕暗殺について。

郭脩(郭循)についての部分をながめていて改めて思ったんだけれど。

費禕暗殺について、費禕殺人事件の真相を探る、といふうにミステリー的に考えて、――これによって誰が最も利益を得たか、最も利益を得た人物が真犯人ないしは関係者ではないのか――と推理してみるのもひとつのアプローチなんじゃないかなとは考えてみたり。

費禕暗殺で最も利益を受けたと思われる姜維


費禕暗殺で最も利益を得ている人物
――でまず思い浮かぶのは、姜維だったり。

(後主伝)

十六年春正月,大将軍費禕為魏降人郭循所殺於漢壽。
夏四月,衛将軍姜維復率衆圍南安,不克而還。

1月に費禕が暗殺された後、3ヶ月後の4月にはもう姜維は北伐にでかけているし。

費禕がいるときには、あまり思い通りにいかなかった姜維。

(姜維伝)

十二年,假維節復出西平,不克而還。
維自以練西方風俗,兼負其才武,欲誘諸羌、胡以為羽翼,謂自隴以西可斷而有也。每欲興軍大舉,費禕常裁製不從,與其兵不過萬人

十二年(249)、姜維は節を与えられ、ふたたび西平に出陣したが、勝利を得ることなく帰還した。姜維は西方の風俗に習熟しているという自信のうえに、軍事の才があると自負していたから、各種の羌族を誘い入れ友軍にしようとの望みを抱き、そうなれば隴より以西の地は魏から切断して支配できると考えた。〔姜維が〕大軍を動かそうと望むたびに、費禕はつねに制約を加えて思いどおりにさせず、わずか一万の兵を与えるだけだった。

(費禕伝)

十一年(248),出住漢中,自琬及禕,雖自身在外,慶賞刑威,皆遙先咨斷然,後乃行。其推任如此。

少なくとも、費禕は大将軍でこんなかんじでかなり蜀で実権を握っていた人物が暗殺された直後なのに、ある程度は国内も混乱しそうなのに、この時の姜維は随分マイペースでフットワーク軽いんじゃないかなという印象。

姜維は費禕の暗殺から多大な利益を得ている、ということは伺えるような気はしたり。

あと、費禕暗殺だけでなく、後のことを考えると、郭脩の当初の劉禅暗殺計画も成功していれば姜維には利益だったのではないかという可能性もあるし……。

費禕暗殺を行った郭脩

費禕暗殺の実行犯は郭脩(郭循)。

ただし、何をやりたかったかはかなり謎。

魏は褒めているけれど(一応、敵の大将軍を暗殺したからってことで)、裴松之はこんな風に評価していたり。

(斉王紀注)

臣松之以為古之捨生取義者、必有理存焉、或感恩懐徳、投命無悔、或利害有機、奮発以応会、詔所称聶政、介子是也。事非斯類、則陷乎妄作矣。魏之与蜀、雖為敵国、非有趙襄滅智之仇、燕丹危亡之急;且劉禪凡下之主、費禕中才之相、二人存亡、固無関於興喪。郭脩在魏、西州之男子耳、始獲於蜀、既不能抗節不辱、於魏又無食祿之責、不為時主所使、而無故規規然糜身於非所、義無所加、功無所立、可謂「折柳樊圃」、其狂也且、此之謂也。

……そのうえ、劉禅は凡庸暗愚な君主であり、費禕は中どころの才能しかない宰相であって、この二人が生きようが死のうが、魏王朝の興亡にはまったく関係がない。郭脩は魏国においては、ただの西州の男児であるにすぎず、最初蜀に捕らえられたときに、節操を守って屈辱を拒否することができなかったうえに、魏に対しても俸禄を賜っていることによる責任はなく、時の君主に用いられていたわけでもなかった。しかも、理由もなしにもっともらしい態度でとんでもないところで無駄死したのだから、なんの信義も認められず、なんの功績を樹立したともいえず、まったくもろい柳をもって圃(はたけ)の樊(かさね)にする(見当はずれのむち)というべきであり、まったくのむちゃというのは、こういうことをいうのである。

この裴松之の評価から読み取ることのできるここで重要な点は、裴松之は、郭脩による費禕の暗殺によって魏は何の利益も得ていない――と考えていることだったり。

そうなると、裴松之は郭脩の暗殺と死について「理由もなしにもっともらしい態度でとんでもないところで無駄死した」と書いているけれども、もう少しつきつめていけばこの暗殺は次のように考えることもできるのではないか。

郭脩による費禕暗殺は魏の降人による魏の国益ための蜀の君主(劉禅)ないしは高官(費禕)の暗殺というもっともらしい動機がある――という見せかけを持っている(持たされている)が、それがこの事件の本質と信じるのは難しいのではないだろうか。

郭脩のやっていることは、かなり出鱈目な印象がある。

(斉王紀注)

魏氏春秋曰、脩字孝先、素有業行、著名西州。姜維劫之、脩不為屈。劉禪以為左将軍、脩欲刺禪而不得親近、毎因慶賀、且拜且前、為禪左右所遏、事輒不克、故殺禕焉。

……
郭脩は、字を孝先といい、平素より品行すぐれ、西州で評判をたてられた。姜維は彼を脅迫したが、郭脩は屈服しなかった。劉禅が彼を左将軍に任命した。郭脩は劉禅を刺殺しようと思ったが側へ近づく機会がなく、いつも慶賀のさいには、拝礼しつつ前方へ進みでて、側近の者にとどめられ、事は成就しなかった。そのために費禕を刺殺したのである。

魏から蜀に降伏したけれど(裴松之は魏に忠節を尽くすならそもそも降伏するなといっている「始獲於蜀、既不能抗節不辱」)、その後、姜維に脅迫されたのに対しては屈服しなかった(でもこれが何の脅迫なのか、不明で不自然)。姜維に屈服しなかったけれども左将軍には任命されてそれを受けていた。

一応、みせかけの動機と照らし合わせれば、姜維関連(姜維劫之、脩不為屈)以外の流れは、劉禅に近づくための手段として理解できなくもない。

裴松之は劉禅なんか殺してもなんの利益もない(魏にとって)といっているけれども、当時の郭脩の立場からすれば、そこまで考慮にいれるのは無理といえば無理なので、これについてもしかたない。

で、郭脩の行動が出鱈目にみえるわりには、その成果自体は、一国の宰相を(お飾りでもない)暗殺する、という大きなものである。

郭脩と姜維の接触

魏氏春秋だけど、ということはおいといて。

「姜維劫之、脩不為屈(姜維は彼を脅迫したが、郭脩は屈服しなかった)」が、文脈的に不自然に挟まっていることの意味は何なのか。

もし創作であれば、なるべく辻褄があうように整形するので、不自然な要素が追加されることは考えにくい。
むしろ、ミスリードになりうるある一つの解釈に沿ったものの方が、追加された要素である確率が高い。

そう考えると、姜維と郭脩が会ったこと、何らかの交渉があったことはそれなりに事実として知られていたのではなかったかと思われる。

姜維が費禕暗殺事件の黒幕説をとる場合

てことで、姜維が費禕暗殺事件の黒幕であると考えるなら、その事件はこういう流れだったのではないか。

魏の西平の人郭脩、姜維に捕らえられてとりあえず蜀に降伏(魏で重用されているわけでもないし)。
 ↓
姜維、自分にとって邪魔な費禕(劉禅)暗殺計画を考えて、その実行犯として魏の降人郭脩に白羽の矢を立てる(姜維に劉禅へのこだわりがある理由はほぼない。費禕は単に目の上のたんこぶ以上の何者でもない)。
 ↓
郭脩は特に深い目的はなく、姜維に適当に唆されて承諾する。
 ↓
姜維は、自分が郭脩と手を組んでいることを隠すために(暗殺計画を立てている以上当然の配慮)、郭脩を脅迫したけれど郭脩に拒まれたという情報を流す(何を脅迫したのか、する必要があったかについては触れずに)。
 ↓
郭脩が費禕暗殺に成功する(姜維、ばれないように助力)。
 ↓
姜維、証拠隠滅のため用済みになった郭脩を裏切って見捨てる。
 ↓
姜維、郭脩には以前脅迫したのに拒まれたし関係ないということで、事件には全然関係ないように振る舞うことに成功する。
 ↓
完全犯罪。

まとめ

とりあえず今回はここまで。

創作的にはこういう説でやってもいいかなと思って考えてみたり。
もう少し考えたいけれど、今は忙しい。

(めも)
張嶷のこととかは書いてないけど。気が向いたらもう少しやる。
費禕が暗殺しやすいという認識を張嶷がもっているなら、姜維ならなおさら把握していたはずだし。

郭脩による費禕の暗殺によって魏は何の利益も得ていない――どころか、姜維の北伐が活発になって魏にとって不利益になっている可能性。





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