2016.03.22
2759文字 / 読了時間:3.4分程度
三国志

張嶷は、蜀後期でかなり好きな人物ではあったり。

それについては今回はおいといて、夏侯覇との逸話について確認してみたいと思ったり。

夏侯覇が張嶷に友達になってほしいと申し出た話?

これ、夏侯覇の風変わりな印象を強めるエピソードだと思っているけれど。

張嶷伝注

益部耆旧伝曰、
時車騎将軍夏侯覇謂嶷曰、「雖与足下疎闊、然託心如旧、宜明此意。」
嶷答曰、「僕未知子、子未知我、大道在彼、何云託心乎。願三年之後徐陳斯言。」
有識之士以為美談。

『益部耆旧伝』にいう。
当時、車騎将軍夏侯覇が張嶷に向かって、「足下とは疎遠でありましたが、旧知の人に対すると同じように心を寄せているのです。どうかこの気持をはっきり知ってください」というと、張嶷は答えて、「私はまだあなたを理解していないし、あなたはまだ私を理解なさっておりません。〔友情の〕大きな道は彼方になるのです。どうして心を寄せるなどとおっしゃるのですか。願わくは、三年たった後、あらためてその言葉をいってください」といった。
見識有る人物はりっぱな話だと評価した。

ただ、すごく気になるのは、張嶷が「願わくは、三年たった後、あらためてその言葉をいってください」と言ったところまでしか書かれていないから、結局3年後どうなったのかという点だったり。

3年後、夏侯覇は張嶷に言われたとおりもう一度同じ言葉を言ったのか、それとも言わなかったのか、あるいはもしかすると3年たつまえに張嶷は死んでしまっていたのか?

この言葉を言った年とその3年後はいつかについて考える

車騎将軍夏侯覇の発言の年?

夏侯覇が張嶷に「雖与足下疎闊、然託心如旧、宜明此意。」と言ったのは、内容や流れ的にはなんとなく夏侯覇が蜀に亡命した直後のような印象を受けるけれど。

とはいえ、わざわざ「車騎将軍夏侯覇」と書いているから、もしかすると夏侯覇が車騎将軍になった時期のことであって、亡命直後とは限らないという可能性もなくはないかなあとか。

夏侯覇が蜀の車騎将軍になった年?

てことで夏侯覇が車騎将軍になったのはいつなんだろうと思ったけれど、夏侯覇は伝があるわけじゃないし、『三国志』じゃ特に書いてないか探しだせなかった。

てことで、華陽国志。

華陽国志

(249)十二年,魏嘉平元年也。魏誅大將軍曹爽,右將軍夏侯霸來降,淵子也,拜車騎將軍

これによると、夏侯覇は蜀にきてすぐ車騎将軍になったらしい。(前任鄧芝は年?)

三国志のほう。

(後主伝)

十二年春正月(249),魏誅大将軍曹爽等,右将軍夏侯覇來降。

こっちによると、夏侯覇の亡命は正月。

てことで、249年1月、亡命直後に夏侯覇は車騎将軍になっていた様子。
そして、255年にも車騎将軍なので(後十八年,復與車騎将軍夏侯霸等俱出狄道,大破魏雍州刺史王經於洮西,經眾死者數萬人。經退保狄道城,維圍之――姜維伝)、あんまり車騎将軍になった時期は、この推測には役に立たないかもという結論に。

まあ調べてみることは必要だからいいけど……。

張嶷が夏侯覇と会うことが可能な時期?

てことで、情報のすくない夏侯覇のほうから検討するのは難しいのかもしれない、ってことで次は張嶷の方からみてみる。

張嶷は基本的には地方の太守を長くやっていたり。

在郡十五年,邦域安穆。屢乞求還,乃征詣成都
夷民戀慕,扶轂泣涕,過旄牛邑,邑君襁負來迎,及追尋至蜀郡界,其督相率隨嶷朝貢者百餘人。
嶷至,拜蕩寇將軍,慷慨壯烈,士人鹹多貴之。然放蕩少禮,人亦以此譏焉,是歲延熙十七年也(254)。
魏狄道長李簡密書請降,衛將軍姜維率嶷等因簡之資以出隴西。

「是歲延熙十七年也」は次の「魏狄道長李簡密書請降」があった年でもあるけれど、文章的にはそっちではなく前に繋がると思うので、成都に張嶷が帰ったのが254年。
つまり、254年までの15年間(在郡十五年)張嶷はずっと越巂太守だったんじゃないかなとか。

張嶷は越巂太守だった時期でも、手紙で費禕を諌めたり、諸葛瞻にも手紙出してたりするわけで、直接会えなくても手紙ではいろいろ頻繁に活動をしているみたいだけれど。
とはいえここでは「時車騎将軍夏侯覇謂嶷曰」とあるので、この話は手紙ではなく直接会っての話のはず……。

ちなみにこの頃夏侯覇がどこにいるかは、夏侯覇伝があるわけでもないし、不明。

ただ姜維伝には、255年に「後十八年,復與車騎将軍夏侯霸等俱出狄道,大破魏雍州刺史王經於洮西,經眾死者數萬人。經退保狄道城,維圍之。(姜維伝)」とあるから、「復」が「夏侯霸等俱」にかかるなら、夏侯覇はこの255年の前にも姜維と一緒に狄道に行っているはず。

で、それは254年(→北伐関連年表)。

(姜維伝)

明年,加督中外軍事。
復出隴西,守狄道長李簡舉城降。進圍襄武,與魏将徐質交鋒,斬首破敵,魏軍敗退。維乘勝多所降下,拔河間狄道、臨洮三縣民還。

つまり、夏侯覇はこの北伐にも、「復」から多分参加しているだろうということに。

で、この254年の北伐には張嶷も参加しているので、夏侯覇が張嶷と直接話ができるのはこの254年なんじゃないかなとか。

というか、254年(のこの北伐で)張嶷は戦死しているので(徐質との戦いで)、車騎将軍の夏侯覇が越巂太守の張嶷に直接会える事情が出てこない限り、254年しかありえないっていう。

夏侯覇と張嶷のこのやりとりがあったのは254年だろうという結論

ちょっと前まで亡命直後の249年だと思っていたけれど。
ただ、これはやっぱり249年は張嶷が越巂太守を15年続けていた最中という設定を軽視しすぎているんじゃないかなと思って、もう一度考えなおしてみたり。

3年後はなかったということ

254年とすると、このエピソードの3年後の約束をしているのに3年後どうなったか書かれていないのは気になる――という疑問の謎がとける。

張嶷はその年に戦死していて3年後はなかったから陳寿(益部耆旧伝も書いた)は書いていないだけ、という結論に。

254年の方が249年よりわかりやすい上に話としても魅力的

249年だとして考えると意味不明なところも多かったけれど、これが254年だと考えればかなり印象はすっきりしてくる。

ついでに、3年後の約束をしたのに3年後には生きていないという展開は、個人的に好みなので254年の方が確率高そうでよかったとも。

まとめ

てことで、249年から254年に改めて読み直すと、このエピソードの魅力もかなりupしたり。

張嶷、夏侯覇ももう少しまとめてみようかなーとか。そのうち。

とりあえずおわり。





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