施績像あれこれ
呉の施績(朱績)は、「真誥」にも名前(娘の施淑女の父親の名前としてだけど)が登場していたり。
何かとイメージが掴めない人なので、この辺から個人的施績像を作るきっかけになればいいかなとか。
昨日とりあえず施績解釈1つ考えてみたけど。
で、他にもなにかないかなあと探して、搜神記に施績みつけたーと思った。
てか、施績って搜神記にも出てたからオカルト的に結構おもしろい? https://t.co/1acPop7Uls
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年9月4日
でも、よくみたら、微妙に施績じゃなかったりー。
ちがう。施續だった。紛らわしい。
— medamayaki (@medamayaki1) 2016年9月4日
ちょっとがっかり。
まあ、同じ呉興の人だし、文字は似てるから、施績のことだと解釈しても悪くはないとは思うけど。
ただ、施續(続)は施績のこと、という注意書きが入ることによって、解釈の芸術点的な要素が下がる感じが微妙。
搜神記の施績っぽい人
気を取り直して搜神記。
(搜神記)
呉興施續為尋陽督,能言論,有門生亦有理意,常秉無鬼論。忽有一黑衣白袷客來,與共語,遂及鬼神。移日,客辭屈。乃曰:「君辭巧,理不足。僕即是鬼。何以云無?」問:「鬼何以來?」答曰:「受使來取君。期盡明日食時。」門生請乞,酸苦,鬼問:「有人似君者否?」門生云:「施續帳下都督,與僕相似。」便與俱往,與都督對坐;鬼手中出一鐵鑿,可尺餘,安著都督頭,便舉椎打之。都督云:「頭覺微痛。」向來轉劇,食頃,便亡。
(379)
呉興の施続は尋陽の司令官をしていたが、なかなか弁舌の立つ人物であった。その家に寄食している男があって、これまた言うことが筋道立っており、いつも幽霊は実在しないという議論をとなえていた。……
そういえば瘟神の鍾士季に関しては、厳密には鍾士貴とか鍾士才とかも鍾士季のことだろうってことで鍾会扱いしてるんだから(自分の脳内設定では)、施績もこれだけあってるんだし搜神記の施続は施績のことにしていいんじゃないかなとか。
この搜神記、施続の居候と幽霊の話なので、施続(たぶん施績)については「呉興施續為尋陽督,能言論」くらいしかないけど。
ただもう一つ疑問なのは、「呉興施續為尋陽督」だけど「施續帳下都督」ってことで、尋陽督の施績の下に、とばっちりで殺されることになる「都督」がいるのかってところが不思議。てか、この辺よくわからないからよくわからないんだけど。なんとなく都督の方が偉そうなのになーとか。
あと、この施続のひとつ前が阮瞻(阮咸の子)の幽霊が実在するかしないかの話(無鬼論)。
阮瞻,字千里,素執無鬼論。物莫能難。每自謂,此理足以辨正幽明。忽有客通名詣瞻,寒溫畢,聊談名理。客甚有才辨,瞻與之言,良久,及鬼神之事,反覆甚苦。客遂屈,乃作色曰:「鬼神,古今聖賢所共傳,君何得獨言無?即僕便是鬼。」於是變為異形,須臾消滅。瞻默然,意色太惡。歲餘,病卒。
東洋文庫で読んでるけど、この訳は、督を司令官と訳するタイプの訳なので、読みやすいけれど原文つきあわせないと原文の雰囲気はつかみづらい感じ。意味わかればいいけど。尋陽の注が「(浙江省)」なのが個人的にしんどいし。
とりあえず、これは施績だということに脳内設定的には決定でいいかな。
施績の人となり?
施績が何考えてるのかよくわからないというのは前からの疑問だった。
真誥で施績の娘が仙女になっていて、夏侯玄の妻等と名前が並んでいたこと。
搜神記では、隣が阮瞻(竹林の七賢の一人阮咸の子)だったこと。
この辺から、施績は、後世の人から夏侯玄や竹林の七賢の同類だと考えられていた――という可能性?(夏侯玄以外の名前や、搜神記逆隣の蒋済の名前はとりあえずスルー)
真誥で施績の娘の名前が出てくるのも、真誥関係者が施績に何かの理由があって親近感をもつことがあった、ということかもしれないし。
そして搜神記とはいえ(でも施績が晋書の登場人物なら、これも正史の伝に採用された可能性あるし。羊祜みたいに)、施績の個人的な性格がうかがえる「呉興施續為尋陽督,能言論(呉興の施続は尋陽の司令官をしていたが、なかなか弁舌の立つ人物であった。)」の記述は、施績像を考える上でかなり貴重かも。
あとこんな食客を養っていたこと、養っている食客の性格(能力)も含めて、施績像のきっかけになるんじゃないかなとか。
まとめ
創作的に、これならある程度施績使えるかもとか。
おわり。