2016.08.24
1506文字 / 読了時間:1.9分程度
三国志

蜀で、地に毛が生えたとか

華陽国志の気になる部分。

華陽国志、大同志

八年,三蜀地生毛,如白毫,三夕,長七八寸,生數里

※(西晋)泰始八年(272)

要するに、泰始八年(272)、蜀で、地に毛が生えた。
それは白い毛のようで、3日間つづいて、長さは7、8寸で、数里にわたって生えていた、とか。

まず長さの確認。

寸はここによると、魏で1寸=0.2412センチだったみたいなので、24*7~24*8ってことで、168-192センチくらいってことなのかな。
なんとなく人間の身長くらいっぽいかも。

里はまあいいや。
とりあえず数里ってことで、大量に生えたんだろうなとか。

地生毛について、晋書の記述

晋のことだけど、晋書の五行志にも書いてあったり。

こっちは、もっと頻繁に生えてる様子……。

晋書 五行志 白眚白祥

武帝泰始八年(272)五月,蜀地雨白毛,此白祥也。時益州刺史皇甫晏伐汶山胡,從事何旅固諫,不從,牙門張弘等困眾之怨,誣晏謀逆,害之。
京房《易傳》曰:「前樂後憂,厥妖天雨羽。」又曰:「邪人進,賢人逃,天雨毛。」其《易妖》曰:「天雨毛羽,貴人出走。」三占皆應。

  惠帝永寧元軍,齊王冏舉義軍。軍中有小兒,出於襄城繁昌縣,年八歲,發體悉白,頗能卜,於《洪範》,白祥也。

  成帝咸康初(335),地生毛,近白祥也。孫盛以為人勞之異也。是後石季龍滅而中原向化,將相皆甘心焉。於是方鎮屢革,邊戍仍遷,皆擁帶部曲,動有萬數。其間征伐征賦,役無寧歲,天下勞擾,百姓疲怨。

  咸康三年(337)六月,地生毛

  孝武太元二年(377)五月,京都地生毛,至四年而氐賊次襄國,圍彭城,向廣陵,征戍仍出,兵連年不解。

  太元十四年(389)四月,京都地生毛。是時苻堅滅後,經略多事,人勞之應也。十七年(392)四月,地生毛。

  安帝隆安四年(400)四月乙未,地生毛,或白或黑。元興三年(404)五月,江陵地生毛。是後江陵見襲,交戰者數矣。

  義熙三年(407)三月,地生白毛。十年(414)三月地生毛。明年,王旅西討司馬休之。又明年,北掃關洛。

あと孫盛もでてきてたり。

華陽国志と晋書の272年の地生毛の比較

華陽国志と晋書を比較して気になる部分。

同じ年にあたる記述が微妙に違うかも。

(華陽国志)
八年,三蜀地生毛,如白毫,三夕,長七八寸,生數里

(晋書)
武帝泰始八年五月,蜀地雨白毛,此白祥也

雨と生の違い?

この白い毛って何

で、気になるのは、この白い毛が何かっていうことだったり。

完全に架空の毛でなければ(架空の毛って何)、少なくとも元になったなにか変わった毛っぽいもの自体はあったとして考えると……。

地面に生えるってことで、植物っぽい気はしたり。
華陽国志の「三夕,長七八寸,生數里」からすると、168-192くらいの高さで、3日くらい白い毛っぽいものが現れるってことで、草っぽいけど。

白い毛にみえる穂とか花とかそんな感じ?

でも、それが何かは思い浮かばないー。

かろうじて、白っぽくて毛っぽくて、高さも2メートル近くありそうなものとして自分が思い浮かぶのは、パンパスグラスくらい……。

パンパスグラス


By Namazu-tron – Self Shot, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2984794

まあ、今のところこんなイメージだけど、パンパスグラスは3日とかで消えたりしないし、微妙ー。

似たような植物なのかな。

白い毛っぽい植物自体はそれなりにあるし。

2014年につくば植物園で撮影(毛っぽい草)

まとめ

とりあえず、晋書とつきあわせて、272年の蜀以外にもあったらしいことは収穫。

おわり。









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