諸葛亮筒袖鎧
宋書の王玄謨伝に諸葛亮の名前が出てきたり。
宋書-王玄謨伝
http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AE%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B776王玄謨,字彥德,太原祁人也。六世祖宏,河東太守,綿竹侯,以從叔司徒允之難,棄官北居新興,仍為新興、雁門太守,其自敘雲爾。祖牢,仕慕容氏為上谷太守,陷慕容德,居青州。父秀,早卒。
玄謨幼而不群,世父蕤有知人鑒,常笑曰:「此兒氣概高亮,有太尉彥雲之風。」
……
明帝即位,禮遇甚優。時四方反叛,以玄謨為大統,領水軍南討,以腳疾,聽乘輿出入。尋除車騎將軍、江州刺史,副司徒建安王於赭圻,賜以諸葛亮筒袖鎧。
頃之,為左光祿大夫、開府儀同三司,領護軍。遷南豫州刺史,加都督。玄謨性嚴克少恩,而將軍宗越禦下更苛酷,軍士謂之語曰:「寧作五年徒,不逢王玄謨。玄謨猶自可,宗越更殺我。」年八十一薨,諡曰莊公。子深早卒,深子繢嗣。
てことで「諸葛亮筒袖鎧」。
諸葛亮が発明した(ということになっている)筒袖鎧ってことなのかなあ。ぐぐるとそんな感じみたいだけど。
ただ、諸葛亮がきてた筒袖鎧とか最初に作った筒袖鎧とか、さらに諸葛亮と筒袖鎧とかだと楽しい気はしたり。
あと、「諸葛亮筒袖鎧」が諸葛亮が発明したとされている筒袖鎧ということだったら、鎧は性能がいいなら量産するだろうし、これだけの経歴の人が皇帝から贈られてそれが史書に記される、というのはなんか実用品としてはなんか違和感あるような。
それとも大量にもらったってことなのかな。
三国志だと絹とか「詔書慰労、賜絹七百匹。(孫礼伝)」こんな感じ。でも絹だと数字つき。
まあ、「諸葛亮筒袖鎧」が「伊達巻」みたいな感じにすっかり人名じゃなく溶け込んでる鎧の名前かもしれないけど。
ただ、鎧を賜るとか書かれてるのそんなにあるのかなあ。
その辺調べるのはめんどうなのでとりあえずこんなことがあったってことで終わり。
(旧ブログ2014.8.15記事移転)