さらに曹髦について資料集め。
張彦遠の歴代名画記については前の記事に書いたので、今回は曹髦についてだけ。
歴代名画記に名前のある画家――曹髦
まずは曹髦に関する箇所。
少帝曹髦,字士彦,
〈中品。〉
東海定王霦之子。幼好學,善書畫。初封高貴鄉公,後即帝位。甘露三年卒,年二十。
〈《魏志》有傳。〉
曹髦之迹,獨高魏代,謝赫等雖著《畫品》,皆闕而不載。彦遠今著此書,不必備見其蹤跡,但自古善畫者,即載之。
〈有《祖二疏圖》、《盜跖圖》、《黃河流勢》、《新豐放雞犬圖》傳於代。又有《於陵子》、《黔婁夫妻圖》。〉
字が三国志のと違うのはこの程度は誤差ってことでいいとして。
曹髦について、ここ以外で絵の才能に触れているところがあるのかは不明。
探したいとは思うけれど、とりあえず三国志には載ってないし。
画家としての曹髦、あるいは画才のある曹髦
てことで、曹髦がここに名前があったのは結構意外だったり。
とりあえず20歳で早世してるし。
てか20歳というのは数えだけれど、現代風に年齢を数えるなら、この人は誕生日が記録に残っている人なので、9月生まれで5月に死んでるから、もしかすると曹髦は満18歳で死んでるとか?
三国志には、画才については書いてないけれど、学問や文学に造型が深いこと、かなり早熟なことについては書かれていたり。
なので、こういうところにも名前が残っているということは、それなりの作品はあったんだろうなとも思うし。
てことで、とりあえず曹髦は、芸術、学問方面の才能は実際にいろいろあった様子。
祖父(曹丕)、曽祖父(曹操)のことを考えると、一つも作品が残っていないのは惜しい気はしたり。
曹髦の子孫の画家
で、曹髦について歴代名画記では、ここ以外、唐の箇所でも名前が出てきてたり。
(歴代名画記・唐)
曹霸,魏曹髦之後。
髦畫稱於魏代,霸在開元中已得名。
天寶末,每詔畫禦馬及功臣。官至左武衛將軍。
てことで、曹髦の子孫の曹覇という人も、唐の時代に画家として知られていたらしい。
ついでに曹髦の子孫かもしれない曹雪芹
あと、一応紅楼夢作者の曹雪芹は曹髦の子孫という説もあるらしいので、子孫かどうかというのは個人的にはそういうことになっているかどうかが重要だと思うので、これも面白そうだからとりあげてみたい説だなあとか。
そしてこの曹雪芹は絵も才能あった様子。
さらについでに、曹髦とケイ康、あるいは竹林の七賢?
あと、竹林の七賢のケイ康も、同様に歴代名画記に名前が入っていたので気になったけれど。
竹林の七賢も立場はいろいろだけど。
とりあえずこのケイ康は毌丘倹の乱のとき毌丘倹に協力しようかと考えたことがあったはず。
なので、竹林の七賢のなかで反司馬氏系な一人だとは思うけれど、嵆康(ケイ康)は曹髦とは関わったりしてないのかな。
世を避けてたからとも言えそうだけど、もしかすると、ケイ康の死因からふと思いついた可能性として、遠因としてはそもそも鍾会が邪魔するという可能性もなくはないのかもしれなかったり。
竹林の七賢と司馬昭(司馬氏)との関係についてはこの大上正美という人の解釈がかなり気に入ってたり。
司馬昭と竹林の七賢
大上正美
https://www.spc.jst.go.jp/cad/literatures/59
これじゃない論文(鍾会論とか)についてはブログに昔書いた気がするけれど、古いからそのうち書きなおそうかなというところ。
まあもともと個人的に、三国志と関係ない趣味で、阮籍の詩好きだったし。
阮籍については今回はいいや。またいずれ。
曹髦の時代は、曹爽系の残党ともいえそうな嵆康みたいな人は曹髦に近づくことはできなかった時代なのかなとも思ったり。
毌丘倹にしろ、反乱といってもあくまで内容は反司馬氏であって、反曹魏ではなかったし。
とりあえず、なんとなく歴史では出会わなくて残念な関係というのはあったり。
まとめ
てことで、絵の才能のある曹髦、その絵の才能がやっぱりある子孫、曹髦と同時代の人物のこととかまとめてみたり。
創作的にはこういうのは使えそうだと思うし。
おわり。