2016.02.08
4046文字 / 読了時間:5.1分程度
クンデラ

クンデラ「小説の精神」メモ――「徹底的切り捨ての新しい技法」について……の記事の続き。

ミラン・クンデラが考える小説3つ課題の2つ目

てことで、前回はこの3つのうちの1つ目「徹底的切り捨ての新しい技法」について見てみたけれど。

ミラン・クンデラ『小説の精神』「第4部 創作技法についての対談」より

……私たちには次のものが必要であることがわかる。
(1)徹底的切り捨ての新しい技法(これによって、近代世界における人間存在の複合性を、構成の明晰さを失うことなく包含することができる)。
(2)小説的対位法の新しい技法(哲学や物語や夢をひとつの音楽に融合することのできる)。
(3)小説特有のエッセーの技法(いいかえれば、必然的なメッセージをもたらそうとするものではなく、仮説的で、遊びの、ないしイロニーにとどまっているもの)。

今回は2つ目について見ていくことに。

小説に必要なもの2――「小説的対位法の新しい技法」

クンデラは、小説に必要なものの2つめとして「小説的対位法の新しい技法」をあげている。

「小説的対位法の新しい技法」が何かについては、上記の部分のカッコ内で簡略に提示しているのでまずはそこから。

小説的対位法の新しい技法(哲学や物語や夢をひとつの音楽に融合することのできる)。

小説的対位法といっても具体的なイメージが湧きづらいけれど、「哲学や物語や夢をひとつの音楽に融合することのできる」と説明してくれると、それはすごく魅力的に感じられてきたり。

非小説的ジャンルと小説的ポリフォニー?

ところで、この「対位法」というのは音楽用語。
とりあえずウィキペディア説明だと「ポリフォニー音楽の作曲技法についての音楽理論」ということで、ポリフォニーという単語も頻出するので注意。

というわけで、今回の「小説的対位法の新しい技法」についても、前回の「徹底的切り捨ての新しい技法」と同じく、音楽を例に出して説明されていたり。

非小説的ジャンルを小説のポリフォニーにこのように統合する――これがブロッホのもたらした革命的な革新です。

ちなみに、これを直前の記事「クンデラ「小説の精神」メモ――歴史、あるいは歴史小説について」に関連させると、「歴史記述」もまた、このように小説のポリフォニーに統合する、ということもできそうではあったり。

閑話休題。

クンデラは、非小説的ジャンル(ここでは、小説、物語、ルポタージュ、詩、エッセー)を小説にポリフォニー的に統合できる、といっている。
これは、次の「小説特有のエッセーの技法」にもつながっていくことだろうが、ここではおいておく。

そしてこの小説のポリフォニーのあるべき姿とは、

実際、ポリフォニーのすぐれた作曲家の基本原理のひとつは、声部の等価性、つまり、どの声部もきわだってはならず、またたんなる伴奏の役に甘んじてはならない、というものでした。

である音楽のポリフォニー同様であると述べている。

つまり、ここで統合されるジャンル(ブロッホの例では、小説、物語、ルポタージュ、詩、エッセー)のどれもが等価でなければならないということである。

小説の対位法の必須条件

クンデラは、小説の対位法の必須条件について次のように定義している。

小説の対位法にとっての必須条件は次のようなものです。
第一はそれぞれの〈系〉の等価性第二は全体の分割不可能性ということです。

第一は、先ほどのポリフォニーの等価性と同じ内容をさす。
第二は、要するに対位法を用いた小説に統合されなくても解体して単独で成立する要素(ブロッホの例では、小説、物語、ルポタージュ、詩、エッセー)を切り貼りしたもの寄せ集めたものではだめだということではないだろうか。

「小説的対位法の新しい技法」について再び

ところで、上記の部分の後には3つ目の「小説特有のエッセーの技法」について語られている。

しかし、その後に再びインタビューアーによってこの2つ目の「小説的対位法の新しい技法」の話題が提示され、更にこれについて語られていくことになる。

というわけで、この記事ではこの部分を続けて見ていくことにする。

夢的話法――むしろ、想像力モデル

インタビューアーが夢的話法について話題を出したので、それについてクンデラの答え。

夢的話法、ですか。それより、理性の支配から逃れ、本当らしさへの関心から自由になった想像力が、合理的思考には近づくことのできない風景のなかに勇躍飛びこんでゆく、とでもいいましょうよ。
夢は、私が近代芸術がかちえた最大のものとみている、このような想像力のモデルにすぎません。
それにしても、定義上、実存についての明晰な検討であるべき小説のなかに、どのようにして制御不能な想像力を組み入れることができるのでしょうか。
……
私のみるところ、この錬金術をはじめて考えたのはノヴァーリスです。

ここは、夢――クンデラは夢はモデルにすぎないといい、彼らしい明晰な表現で言い換えている――を小説に組み込む、統合するポリフォニーについてとも。

そしてノヴァーリスの方法についてクンデラはこのように語っている。

それは、トルストイやトーマス・マンの作品にみられるような、夢の〈写実主義的な〉模写ではない。夢に固有の〈想像力の技法〉に刺激されてできた一篇のすぐれた詩なのです。

ここでも、「写実主義的な」ものには否定的である。

そして、ノヴァーリスが成し遂げられなかったこと――夢を小説に組み込むこと――実現したのが、カフカであると、クンデラは考える。

彼(カフカ)の小説は夢と現実との切れ目のない融合です。そこには現代世界にそそがれる明晰この上ないまなざしと、もっとも自由な想像力とが二つながらあるのです。

クンデラが最も評価している作家はカフカらしい。

ともかく、クンデラは自身の理想をこのように語っている。

でも私はカフカと同じく(またノヴァーリスと同じく)、夢を、夢に固有の想像力を小説のなかに持ち込みたいという願望をもっています。
そうするための私の方法は、〈夢と現実との統合〉ではなくポリフォニー的対照なのです。
〈夢的〉物語は、対位法の系のひとつなのですね。

「全体の分割不可能性」について?

インタビューアーの、「作品における統一性という問題に話をもどしたいと思います」という言葉から、「小説の対位法の必須条件」の第二「全体の分割不可能性」について、ここから再び。

クンデラは作品における統一性について次のように語っている。

ただし、もっと深いものが小説に一貫性を保証しているのだと私は思っています。それは主題の統一性です。

そして一見統一性のない(筋の統一性のない)自作についてこう語っている。

『笑いと忘却の書』では、全体の一貫性はいくつかの(変化に富んだ)主題(とモチーフ)の統一性によってのみ作りだされます。
これが小説でしょうか。私の意見ではそうです。

そして、クンデラの小説の定義がここでもまた持ちだされる。

小説とは、想像上の人物を通して眺められた実存についての考察なのです

それにしても、この小説の本質、小説とは何かについてのクンデラの考え方も、鋭いと思ったり。

小説と主題と実存と

クンデラにとって、主題はかなり重要である。

小説がその主題を棄ててただ物語を語るだけに満足したら、小説は平板なものになってしまいます。

そして、小説と主題と物語について。

私はいつでも小説をふたつのレベルで書きます。
つまり第一のレベルで、小説の物語を書き、そのうえにさまざまの主題を展開させる。主題は小説の物語のなかで、物語によって絶え間なく取りあげられます。
……
これに反して、主題は物語の外側で独立して展開させることが可能です。主題へのこの取り組み方を私は逸脱と呼んでいます。逸脱とは、暫時、小説の物語を捨てることです。

ここで、クンデラの独特な点は、ふたつめのレベル(「これに反して」以下)のあたりかも。

クンデラは「小説特有のエッセーの技法」(次の記事で触れる予定)として、小説にエッセー的なものを取り入れる主義を持っている。

彼はそれを「逸脱」と呼ぶが、それはあくまで「物語を捨てること」であって「小説を捨てることではない」「小説からの逸脱ではない」ことは注意が必要かも。

この観点からすると、逸脱は創作の規則を強めこそすれ弱めはしないのです。

これがクンデラの「逸脱」にたいする評価。

そしてまた実存について。

クンデラにおける小説の本質は、実存と切り離せないものである。

主題とは実存的な問いです
そして、そのような問いとは結局、特殊な言葉の、主題である言葉の検討であることを、私はますます了解しているところです。

主題とモチーフ?

さらに続けてこんな感じ。主題について。

つまり、小説はまずもっていくつかの基本的な言葉に依拠している、と。シェーンベルクの〈音列〉に似ています。
『笑いと忘却の書』では、〈列〉は次のようなものです。すなわち、忘却、笑い、天使たち、〈リートスト(チェコ語。「私達自身の悲惨さに突然気づいたときに生まれる困惑状態」(クンデラ)を指す)、国境。
小説が進むなかで、この五つの主要語が分析され、研究され、定義づけられ、再定義され、かくして実存のカテゴリーに変容されるのです。
柱の上に家が立つように、小説はこうしたいくつかのカテゴリーの上に建っています。……

で、少し戻るけれど、クンデラは主題とモチーフは別だといっている。

私は主題とモチーフとを区別します。
モチーフは主題ないし物語のひとつの要素でして、これは小説の進行中に何度も、また常に異なった文脈で現れてきます。
たとえば、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のモチーフがテレザの生活からトマーシュの思考へと移動し、また、重さ、キッチといったさまざまの異なった主題を横断します。……

まとめ

クンデラの小説考察はすごく鋭くてためになるという印象。個人的に。

というわけで、今回はここまで。
いずれ「小説特有のエッセーの技法」についても書く予定。

おわり。









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