2016.01.02
4252文字 / 読了時間:5.3分程度
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最近、中国史趣味では明(はじめの方)が気になってたり。

元々は、三国志演義作者とされる羅貫中や施耐庵がこの時代の人で、鄱陽湖の戦いに参加していて、三国志演義の赤壁の戦いはそれをモデルにした――とかいうのをどこかで小耳に挟んで(出典とかあるのかな)気になったのが発端だったりとか。

あとは、三国志の人物の末裔や同姓同名の人を探す趣味から、明の王弼をまず最初に発見して、明史の王弼伝のある巻は藍玉の獄で死んだ人(藍玉含む)が入っている感じだけど、そこから藍玉の獄に興味、さらにそういえば朱元璋(太祖、洪武帝)はやたら粛清してたっけ→足利義満が日明貿易しようとかしてた頃だっけ→日本がなんか関わってておもしろそう……こんな流れで更に興味アップしてたり。

てことで、Twitter含むあちこちにメモちらばってるけれど、そのうち忘れそうなのでまとめておくことに。

まずはウィキペディアで概要。

胡藍の獄
(→ウィキペディア

胡藍の獄(こらん の ごく)は、中国明代初期の洪武13年(1380年)に宰相胡惟庸の造反計画をきっかけに起きた粛清事件「胡惟庸の獄」と、同26年(1393年)に起きた将軍藍玉に関する同様の粛清事件「藍玉の獄」をあわせた総称である[1][2](1390年に起きた李善長の獄を胡惟庸の獄の延長と見なして、これを含める場合もある[3])。洪武帝治世後期の徹底した恐怖政治を象徴する事件群であり、いずれも一万人以上の犠牲者を出したといわれる大粛清である。明国内にとどまらず、日本との外交にも影響を及ぼす大事件となった。このほかにも洪武帝の治世に起きた同様の粛清事件は多く、洪武9年(1376年)の「空印の案」、同18年(1385年)の「郭桓の案」をあわせて「明初四大案」「洪武四大案」などと呼ばれることもある。本項では、上記の4事件のほか洪武帝期に行われた粛清事件である「林賢事件」「李善長の獄」なども含め、洪武帝治世の粛清事件全般を概説する。……

▼今回収録したい、明初のおもしろそうな出来事4つ?

明初のおもしろい歴史的出来事、詳しい人ならもっといろいろ知ってて選べるんだろうけれど、とりあえず自分はそうじゃないから最近見つけた面白そうなものを4つメモしておきたかったり。備忘録を兼ねて。

とりあえずこの4つ。

●明の王弼他――明史の王弼伝のある巻の三国志同姓同名率?
●胡惟庸と林賢――日本と手を組んで反乱計画?
●建文帝は死んでいなかった説
●唐賽児――女性反乱指導者で、妖書宝剣を所持してたり行方不明になったり

▼明の王弼他――明史の王弼伝のある巻の三国志同姓同名率?

まずはこれ。

Twitterに書いたけど、それより前から気になっていたことなので、どこかに書いたような気はしたり。

「曹震、曹興」の二人はちくま三国志8巻の人名索引みて存在を確認した。

これについては、三国志創作で使えるかもしれないってことで、気になって調べたことだったり。

▼胡惟庸と林賢――日本と手を組んで反乱計画?

これはかなり楽しそう。

胡惟庸は明史の奸臣伝に伝がいれられてたり。

胡藍の獄の胡は胡惟庸の胡。

明史・胡惟庸伝

胡惟庸,定遠人。歸太祖於和州,授元帥府奏差。尋轉宣使,除寧國主簿,進知縣,遷吉安通判,擢湖廣僉事。吳元年,召為太常少卿,進本寺卿。洪武三年拜中書省參知政事。已,代汪廣洋為左丞。六年正月,右丞相廣洋左遷廣東行省參政,帝難其人,久不置相,惟庸獨專省事。七月拜右丞相。久之,進左丞相,復以廣洋為右丞相。

  自楊憲誅,帝以惟庸為才,寵任之。惟庸亦自勵,嘗以曲謹當上意,寵遇日盛,獨相數歲,生殺黜陟,或不奏徑行。內外諸司上封事,必先取閱,害己者,輒匿不以聞。四方躁進之徒及功臣武夫失職者,爭走其門,饋遺金帛、名馬、玩好,不可勝數。大將軍徐達深疾其奸,從容言於帝。惟庸遂誘達閽者福壽以圖達,為福壽所發。御史中丞劉基亦嘗言其短。久之基病,帝遣惟庸挾醫視,遂以毒中之。基死,益無所忌。與太師李善長相結,以兄女妻其從子佑。學士吳伯宗劾惟庸,幾得危禍。自是,勢益熾。其定遠舊宅井中,忽生石筍,出水數尺,諛者爭引符瑞,又言其祖父三世塚上,皆夜有火光燭天。惟庸益喜自負,有異謀矣。

  吉安侯陸仲亨自陝西歸,擅乘傳。帝怒責之,曰:「中原兵燹之餘,民始復業,籍戶買馬,艱苦殊甚。使皆效爾所為,民雖盡鬻子女,不能給也。」責捕盜於代縣。平諒侯費聚奉命撫蘇州軍民,日嗜酒色。帝怒,責往西北招降蒙古,無功,又切責之。二人大懼。惟庸陰以權利脅誘二人,二人素戇勇,見惟庸用事,密相往來。嘗過惟庸家飲,酒酣,惟庸屏左右言:「吾等所為多不法,一旦事覺,如何?」二人益惶懼,惟庸乃告以己意,令在外收集軍馬。又嘗與陳寧坐省中,閱天下軍馬籍,令都督毛驤取衛士劉遇賢及亡命魏文進等為心膂,曰:「吾有所用爾也。」太僕寺丞李存義者,善長之弟,惟庸婿李佑父也,惟庸令陰說善長。善長已老,不能強拒,初不許,已而依違其間。惟庸益以為事可就,乃遣明州衛指揮林賢下海招,與期會。又遣元故臣封績致書稱臣於元嗣君,請兵為外應。事皆未發。會惟庸子馳馬於市,墜死車下,惟庸殺挽車者。帝怒,命償其死。惟庸請以金帛給其家,不許。惟庸懼,乃與御史大夫陳寧、中丞涂節等謀起事,陰告四方及武臣從己者。

  十二年九月,占城來貢,惟庸等不以聞。中官出見之,入奏。帝怒,敕責省臣。惟庸及廣洋頓首謝罪,而微委其咎於禮部,部臣又委之中書。帝益怒,盡囚諸臣,窮詰主者。未幾,賜廣洋死,廣洋妾陳氏從死。帝詢之,乃入官陳知縣女也。大怒曰:「沒官婦女,止給功臣家。文臣何以得給?」乃敕法司取勘。於是惟庸及六部堂屬咸當坐罪。明年正月,涂節遂上變,告惟庸。御史中丞商暠時謫為中書省吏,亦以惟庸陰事告。帝大怒,下廷臣更訊,詞連寧、節。廷臣言:「節本預謀,見事不成,始上變告,不可不誅。」乃誅惟庸、寧並及節。

  惟庸既死,其反狀猶未盡露。至十八年,李存義為人首告,免死,安置崇明。十九年十月,林賢獄成,惟庸通倭事始著。二十一年,藍玉征沙漠,獲封績,善長不以奏。至二十三年五月,事發,捕績下吏,訊得其狀,逆謀益大著。會善長家奴盧仲謙首善長與惟庸往來狀,而陸仲亨家奴封帖木亦首仲亨及唐勝宗、費聚、趙庸三侯與惟庸共謀不軌。帝發怒,肅清逆黨,詞所連及坐誅者三萬餘人。乃為《昭示奸黨錄》,佈告天下。株連蔓引,迄數年未靖云。

明史・日本伝にも胡惟庸、林賢は出てきたり。

明史・日本伝

先是,胡惟庸謀逆,欲藉日本為助。乃厚結寧波衛指揮林賢,佯奏賢罪,謫居日本,令交通其君臣。尋奏復賢職,遣使召之,密緻書其王,借兵助己。賢還,其王遣僧如瑤率兵卒四百餘人,詐稱入貢,且獻巨燭,藏火藥、刀劍其中。既至,而惟庸已敗,計不行。帝亦未知其狡謀也。越數年,其事始露,乃族賢,而怒日本特甚,決意絕之,專以防海為務。然其時王子滕祐壽者,來入國學,帝猶善待之。二十四年五月特授觀察使,留之京師。後著《祖訓》,列不征之國十五,日本與焉。自是,朝貢不至,而海上之警亦漸息。

原文探すのは手間なのでとりあえずウィキペディアから。

(→ウィキペディア

洪武9年(1376年)4月、日本国王良懐の使者帰廷用が寧波に来貢した際に、南京で洪武帝に拝謁するため、寧波衛指揮使の林賢が使節を護衛して往復した。しかしその間、林賢は南京で胡惟庸と通じていた。胡惟庸は叛乱を起こすために日本の協力を必要としており、林賢を密かに日本へ派遣する策略を練る。胡惟庸の密命を受けた林賢は、帰廷用が日本へ帰国する際に、倭寇と偽ってその船を襲撃し、中央に報告した。胡惟庸はこれを林賢の過失として上奏したため、事情を知らない洪武帝は激怒して、林賢を日本へ3年間の流罪に処した。日本へ流された林賢は、国王に根回しを行って胡惟庸への協力を取り付ける。胡惟庸は秘密裏に使者を日本に派遣し、林賢を呼び戻すとともに日本国王に援軍を要請。日本国王は快諾し、朝貢使節と偽って洪武14年(1381年)7月、僧の如瑶を正使とした精兵400余人を寧波へ送り込んだ。しかし援軍が到着した頃には、すでに当の胡惟庸は処刑されており、計画は失敗に終わっていた。行き場をなくした日本軍は雲南に流され、その地で守備に当たらされたという。しかし帰国した林賢は逮捕を免れ、その後も素知らぬふりで寧波衛指揮使の任にあたり、ようやく6年後に発覚した

とりあえず、この「日本へ流された林賢は、国王に根回しを行って胡惟庸への協力を取り付ける。胡惟庸は秘密裏に使者を日本に派遣し、林賢を呼び戻すとともに日本国王に援軍を要請。日本国王は快諾し、朝貢使節と偽って洪武14年(1381年)7月、僧の如瑶を正使とした精兵400余人を寧波へ送り込んだ。」のあたりが、日本史にはなさそう(ある??)で楽しい。

元寇のことも、マルコ・ポーロはなんかオリジナルっぽい逸話があった気がするし、こういうエピソードを集めるのも楽しいので、これいいなあとか。

とりあえずこの日本国王を題材とした創作とかあったらおもしろそう、みたいな。
あるのかな。

あっても探し出せないんじゃ意味ないし……。

▼まとめ?

記事が長くなって鬱陶しいので、前編、後編に分けることにする。

てことで、後編に続く。

覚えておきたい明初のおもしろそうな出来事4つ(後編)
http://memo.medamayaki.xyz/2016/01/02/%E8%A6%9A%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E6%98%8E%E5%88%9D%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%8D%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%AA%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B4%E3%81%A4-2/





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