記事が長くなったので、前回からの続き。
覚えておきたい明初のおもしろそうな出来事4つ(前編)
http://memo.medamayaki.xyz/2016/01/02/%E8%A6%9A%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E6%98%8E%E5%88%9D%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%8D%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%AA%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B4%E3%81%A4%EF%BC%88/●明の王弼他――明史の王弼伝のある巻の三国志同姓同名率?
●胡惟庸と林賢――日本と手を組んで反乱計画?
目次的にはこんな。
(前編)
●明の王弼他――明史の王弼伝のある巻の三国志同姓同名率?
●胡惟庸と林賢――日本と手を組んで反乱計画?(後編)
●建文帝は死んでいなかった説
●唐賽児――女性反乱指導者で、妖書宝剣を所持してたり行方不明になったり
てことで後編。
▼建文帝は死んでいなかった説
明はなんで、朱元璋or太祖or洪武帝、とかいう最低でも3種類の呼び方があるんだろう、ってのが地味にめんどくさかったり。
朱元璋以外は本名で覚えてないけど。
建文帝は、自身の祖父洪武帝の死後、成祖(永楽帝)に敗れてたぶん死んだはずの、明二代目(のはずだった)皇帝。
永楽帝は洪武帝の子なので、建文帝からはおじにあたる。
まあそれはいいとして。
実は死んでなかった建文帝――という小説に、幸田露伴の「運命」がある。
ということを今日はじめて知ったわけだけど。
幸田露伴
運命
(青空文庫)
死んだはずの皇帝が実は死んでいなかったとか、歴史趣味的にはわりと定番のロマンだと思ったり。
なのでいいなあとか。
明史での彼の最後に関する記述自体こんな。
六月癸丑,盛庸帥舟師敗燕兵於浦子口,復戰不利。都督僉事陳瑄以舟師叛附於燕。乙卯,燕兵渡江,盛庸戰於高資港,敗績。戊午,鎮江守將童俊叛降燕。庚申,燕兵至龍潭。辛酉,命諸王分守都城,遣李景隆及兵部尚書茹瑺、都督王佐如燕軍,申前約。壬戌,復遣谷王橞、安王楹往。皆不聽。甲子,遣使齊蠟書四齣,促勤王兵。乙丑,燕兵犯金川門,左都督徐增壽謀內應,伏誅。谷王橞及李景隆叛,納燕兵,都城陷。宮中火起,帝不知所終。燕王遣中使出帝後屍於火中,越八日壬申葬之。
或雲帝由地道出亡。正統五年。有僧自雲南至廣西,詭稱建文皇帝。恩恩知府岑瑛聞於朝。按問,乃鈞州人楊行祥,年已九十余,下獄,閱四月死。同謀僧十二人,皆戍遼東。自後滇、黔、巴、蜀間,相傳有帝為僧時往來跡。正德、萬曆、崇禎間,諸臣請續封帝後,及加廟諡,皆下部議,不果行。大清乾隆元年,詔廷臣集議,追諡曰恭閔惠皇帝。
てことで、こう書いている以上、少なくとも創作的には、建文帝の死に方に結論を下すのは正史に非忠実ってことになるよねっていう。
正史仕様ってある意味便利……。(正史≠史実)
▼唐賽児――女性反乱指導者で、妖書宝剣を所持してたり行方不明になったり
建文帝と同じく、幸田露伴の小説「運命」で言及される唐賽児という人。
この人がモデルの「女仙外史」という小説(中国)があるという話とかがこの作品で触れられていたり。
まあそれはいいとして。
とりあえず歴史創作系では、オリキャラ(or実質オリキャラ)を出さないと、女性はすごく出しにくかったり。
出ても、家族的、家庭的な立場での母、妻、娘としてくらいしかなくて、個人的個性のある逸話もあまりなかったりするし。
なので、こういう家庭内的でない実績のある女性はいろいろ貴重。
しかも妖書宝剣とか行方不明とかが、個人的に好みな設定。
幸田露伴運命にでてきた人、おもしろそうー。
唐赛儿民变
https://t.co/OA5rBOSbNj
— medamayaki (@medamayaki1) 2015, 11月 22
@medamayaki1
唐賽児の乱
https://t.co/DaTtHVvMdb
コトバンクだとこんな
「中国、明(みん)代の1420年、山東に起こった農民反乱。唐賽児はその中心となった婦人指導者」→
— medamayaki (@medamayaki1) 2015, 11月 22
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
唐賽児の乱
とうさいじのらん
https://kotobank.jp/word/%E5%94%90%E8%B3%BD%E5%85%90%E3%81%AE%E4%B9%B1-103547中国、明(みん)代の1420年、山東に起こった農民反乱。唐賽児はその中心となった婦人指導者。彼女は蒲台(ほだい)県(山東省)の農民林三の妻で、若いころから仏教を信じ、自ら仏母と称した。夫の死後、その墓参の帰路、妖書(ようしょ)宝剣を手に入れ、また衣食、財物などを意のままにもたらし、未来を予言するなどの妖術をもって教えを広めたので数万の農民がこれに従った。明朝が彼女を逮捕させようとしたので、1420年ついに山東の益都(えきと)を中心に反乱を起こした。彼女は安遠侯柳升(りゅうしょう)に敗れ獄につながれたが、鎖が自然に解け、逃れ去ったともいわれ、結局、農民の間にかくまわれて行方不明のままとなった。[谷口規矩雄]
▼まとめ
てことで、この辺はいろいろ楽しいんじゃないかなとか。
とりあえずおわり。
(旧ブログより移転 2015.11.22)
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