2016.01.02
3735文字 / 読了時間:4.7分程度
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中国神話から読み解く古代日本の謎、というか。

で、最初Twitterに書いたけど、長くなりそうなのでこっち。

基本、歴史全般もこのブログの取扱範囲内だし。

だいたい、古代日本は正史三国志本文に登場している以上(邪馬台国が日本にあるという解釈をとる限り)、古代日本も正史「三国志」解釈の範囲だよね――ともいえるわけだし。

▼鳥居の起源と中国神話のつながり?

てことでまずはツイートの収録。

とりあえずTwitterに書いたのはこんな感じ。

▼扶桑、太陽、鳥、羲和(10の太陽の母)

ツイート引用のままだとなんか落ち着かないのでもう一度。

扶桑→日本ぽい
扶桑樹→10の太陽、鳥がいる所
扶桑樹と鳥→三星堆の青銅神樹のイメージ
日本天照大神は太陽神→扶桑の太陽?
鳥居→鳥の止り木でこの太陽神がとまる場所?
中国の10の太陽→羲和
羲和→東夷の先祖系
→天照≒羲和、鳥居≒扶桑樹

まず「扶桑→日本ぽい」というのは、扶桑が日本の別名として扱われているのは、日本に日本史として「扶桑略記」がある以上まあ確実だろうということ。
Twitterは140文字なので略すとこうなったっていうだけの話。

扶桑略記(国会図書館)
http://www.ndl.go.jp/zoshoin/zousyo/large/01_001_l.html

「扶桑樹→10の太陽、鳥がいる所」これは、山海経や淮南子にあたれば出典もあるかんじ。

とりあえず山海経を維基文庫より。

●扶桑、太陽、鳥(烏)

山海経
海外東經

下有湯谷。湯谷上有扶桑十日所浴,在黑齒北。
居水中,有大木,九日居下枝,一日居上枝。

大荒東經
大荒之中,有山名曰孽搖頵羝,上有扶木,柱三百里,其葉如芥。
有谷曰溫源谷。湯谷上有扶木。
一日方至,一日方出,皆載于

●羲和、扶桑、太陽

山海経
大荒南經

 東南海之外,甘水之間,有羲和之國。有女子名曰羲和,方浴日於甘淵。
羲和者,帝俊之妻,生十日。[1]

……

註釋
根據袁珂校注︰此節疑亦當在大荒東經「有甘山者,甘水出焉,生甘淵」之後,甘淵蓋即湯谷也,其地本當在東方

日は太陽。

てことで、とりあえず東方(当然中国から見た)には扶桑樹があったり羲和の国があったり。
そこには羲和の子である十の太陽がいて、鳥(烏)に乗って飛んでいったりする。

山海経ではこんな感じかな。

▼扶桑、太陽、鳥、羲和+帝俊

山海経で羲和は「帝俊之妻」とあることから。

ややこしいのでとりあえず百度に書いてあることから。

帝俊(百度)
http://baike.baidu.com/subview/363302/15933434.htm

……
少昊:帝俊(qun)之子
羿:帝俊臣属
羲和:帝俊之妻,生十位太阳神
常羲:又称“常仪”、“嫦娥”。帝俊之妻,生十二位月亮神
……

これによると、帝俊は五帝に入ってたりもする少昊の父らしい。
黄帝の子だったりする気もしなくもないけど、この辺は五帝の人選すら諸説あるわけだし、まあ少昊が羲和に繋がることが大事。

史記
殷本紀

嚳 契
,母曰簡狄,有娀氏之女,為帝次妃。
三人行浴,見玄墮其卵,簡狄取吞之,因孕生契。
契長而佐禹治水有功。
帝舜乃命契曰:「百姓不親,五品不訓,汝為司徒而敬敷五教,五教在寬。」
封于,賜姓子氏。

少昊の父についてはあれだけど、そもそも帝俊が誰かの別名だとかいうこともありえるから今は割愛。

てかぐぐってたらここのサイトが出てきたんだけど。

この中身についてはまた触れるとして、ここでは「帝俊是少昊」って言ってる。

よさげ。

てことで、羲和は少昊(五帝の一人だったり、殷の祖先だったり)の妻か母かってことで考えていくことに。

▼(蛇足)扶桑、太陽、鳥、羲和+帝俊≒少昊→殷

ここから先は、どっちかというと完全に創作メモ用。

創作の都合上、殷というか殷の鍾会(謎)を日本に繋げたいっていう事情。

史記
殷本紀

殷契,母曰簡狄,有娀氏之女,為帝嚳次妃。
三人行浴,見玄鳥墮其卵,簡狄取吞之,因孕生契。

とりあえずここに唐突に出てくる、わざわざ始祖の素性を怪しくする逸話。
「玄鳥」が鳥のことではなくて、左伝に出てくるように「玄鳥氏」のことなのかなとか。

だったら、そこで少昊に繋がるかんじ。

「少皞」は少昊。

春秋左氏伝
昭公十七年

少皞氏鳥名官.何故也.
郯子曰.吾祖也.我知之.昔者黃帝氏以雲紀.故為雲師而雲名.炎帝氏以火紀.故為火師而火名.共工氏以水紀.故為水師而水名.大皞氏以龍紀.故為龍師而龍名.
我高祖少皞.摯之立也.鳳鳥適至.故紀於鳥.
為鳥師而鳥名.鳳鳥氏歷正也.
玄鳥氏司分者也.伯趙氏司至者也.青鳥氏司啟者也.丹鳥氏

▼扶桑、太陽、鳥、羲和→日本へのif

ここから先は、まあ最初にツイートしたような感じだけど。

また山海経。

山海経
大荒東經

東海之外大壑,少昊之國。少昊孺帝顓頊于此,棄其琴瑟。
有甘山者,甘水出焉,生甘淵。
東海之外,甘水之閒,有羲和之國。有女子名曰羲和,方浴日于甘淵。羲和者,帝俊之妻,是生十日。[1]

少昊の国は羲和の国の近くにありそう。

そして少昊は殷の祖先。

この国はきっと山海経の記述からして日本の方にあったんだろうし、まあ日本ってことにしても間違いとは言い切れないっぽいからそうしておくとして。

羿は羲和の子の十のうちの九の太陽を射たけど、これは今の日本にいた勢力なのかもなーとか。
残った一つが邪馬台国とかなのかもしれないし。

その後、倭と日本としばらく両立していたみたいな記述が中国の史書にあるけれど。

旧唐書

日本國者、倭國之別種也、以其國在日邉、故以日本爲名。
或曰:「倭國自惡其名不雅、改爲日本。」或云:「日本舊小國、併倭國之地。」

それは、倭を日本に言い換えたのが中国側で混乱して、ではなくて、日本には王朝がいくつもあった事実を書いただけとか?

日本の古代史、万世一系の理想とまではいわなくても結論が結構根強くありそうだけど、それにこだわる理由は自分にはないし。

▼羲和→扶桑+太陽+鳥+→天照大神+鳥居、if

羲和の神話にある扶桑と太陽と鳥のエピソード。

鳥居の起源の謎に近づくためには、鳥居≒太陽な鳥(太陽をのせる烏)の止まり木、は良いんじゃないかなと思うけど。

あと、中国の影響で鳥居とかいえば拒否感を覚えることもあるかもしれないけれど、逆に中国が日本でのことを自分の神話に取り入れたというふうに考えれば、そういうことも薄れる気がするし。

「日出処の天子」の表現も、羲和や扶桑の話を下敷きにしていたという取り方もあるのかな。

天照大神と羲和の神話は、太陽以外あんまり似てないけれど、羲和の子の一人が天照大神だったらまあなんとか。

そして、少昊の国が日本にあったなら、五帝の一人だったりもするわけだし、古代中国との関りは結構あったということで、「日出処の天子」と名乗ることもそれほど唐突でもないのかなとか。

▼まとめ?

とりあえず、扶桑樹にとまる鳥のイメージ(三星堆の遺物からのイメージ多め)が、日本の鳥居と繋がりそうだなあと思ってたり、その他創作上の事情からあれこれ調べたり考えてみたり。

鳥居、見た目はどうみても止まり木っぽいし(門なのは副次的で)、名前も鳥居なんだし。

あと、少昊が殷の始祖なら、日本に少昊の国があるなら殷はどういう風に解釈すればいいのかなとか。

おわり。

(旧ブログより移転 2015.11.08)









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