蜀滅亡前頃の呉で印象的なのはこの辺。
(朱績伝)
太平二年(257)には、驃騎将軍を授けられた。
孫綝秉政(256-258)、大臣疑貳、
績恐呉必擾乱、而中国乗釁、乃密書結蜀、使為並兼之慮。
蜀遣右将軍閻宇将兵五千、增白帝守、以須績之後命。孫綝が政治を牛耳るようになると、重臣たちのうちに動揺がおこった。
朱績は、呉の国は必ず混乱し、中原の勢力がその乱れに乗じるであろうと心配をし、ひそかに書簡を送って蜀と連絡を取り、呉が併呑されてしまわぬよう蜀が牽制をしてくれるように依頼した。
蜀は、右将軍の閻宇を遣り、兵士五千を指揮して白帝の守備を増強し、朱績からの指示を待たせた。永安(258-264)初、遷上大将軍、都護督、自巴丘上迄西陵、
元興元年(264)、就拜左大司馬。
初、然為治行喪竟、乞復本姓、権不許、績以五鳳中表還為施氏、建衡二年(270)卒。
朱績、目的は一応ともかく、勝手に密書送ってるとかどうなのかなあとか。
「ひそかに書簡を送って蜀と連絡を取り、呉が併呑されてしまわぬよう蜀が牽制をしてくれるように依頼した」とか、独断でできるのかとか。
独断でやったことが知られても、問題ないとかあるのかなあとか。
てゆうか、この魏への牽制依頼に対して「蜀は、右将軍の閻宇を遣り、兵士五千を指揮して白帝の守備を増強し」っていう蜀の対応、これで本当に依頼どおりなのかなという疑問もあったり。
劉備のことはおいておいても、ここはこの後の蜀滅亡後に羅憲が呉(陸抗とか)から守ってた場所だし、長江上流で呉にとっては危険かつ魏とはあんまり関係ない場所のような気もするんだけれど。
てか呉側からすると、この朱績の依頼のおかげで、陸抗たちが羅憲に苦戦するはめになってるような気もしたり。
このころは一応同盟関係だったとはいっても。
自分が依頼して蜀が白帝軍備増強した後、朱績は「永安(258-264)初、遷上大将軍、都護督、自巴丘上迄西陵、」てことで、その下流一帯の都督になってたり。
何がしたいんだろうみたいな。
それで辻褄合いそうな解釈を考えてみる。
○書いていることは全部正しい(後々呉が困ることは想定外だった→朱績馬鹿?)
○朱績はそんなことは望んでいなかった、蜀は呉の混乱に乗じようとして朱績の密書を利用して白帝の軍備増強をしただけ(→朱績馬鹿?)
この2つだと朱績がすごく頭悪そうな気も。
ただそれは、その後の地位からもなんか違う気はするし。
てことで別の可能性。
○白帝の軍備増強は朱績の依頼どおり、朱績がそんなことを依頼した理由は魏に備えるというのは口実でしかなく別の目的があった
で、この場合別の目的(呉のためというのとは違う、別の目的)は何だろうと考えると。
亡命でもしたかったのかとか思えなくもなかったり。
この辺(西陵)あとで、歩闡が晋に寝返ったりしてるし。
歩闡は、孫晧を怖れて晋に寝返った。
一方、朱績にとっても、また孫綝が台頭して好き勝手していて呉が混乱している時期。朱績が孫綝を怖れて亡命しようとか考えることも、それほど当時の呉からみても不思議ではない気もしたり。
全一族とか、孫壱とか。
あと朱績は、孫綝の前は前で、諸葛恪とひどい不仲だったし、呉での将来に悲観的になって転職活動みたいなのをはじめるとかもありえなくはないような気もしたり。
でも258年にわりと早々と孫綝がいなくなったので、そうなれば呉のほうが居心地いいからやっぱりやめたとか。
羅憲が蜀滅亡後も呉に徹底抗戦したのは(羅憲はもとから閻宇の下にいた)、こんな調子なのでもとから呉への不信感が強かったからというのもありえるかもとか。
ていうか、朱績が魏への牽制を頼んだというのなら、魏では諸葛誕の乱の頃だから姜維も関中に北伐してるから、これが魏への牽制になってるんじゃないかな。
むしろ、白帝の軍備増強は、姜維の北伐を間接的に邪魔(そっちに回さない)してる気がするし、魏への牽制よりはむしろ魏には悪くない結果のような。
○朱績の目的は魏への投降(→蜀にとっては荊州の一部を手土産に魏に投降とか最悪だから察知して白帝を増強した)
○朱績の目的は魏の牽制で姜維の北伐を要請した(→姜維はちょうど段谷敗北後。蜀の内部事情的な結果でなぜか白帝増強になった)
○朱績の目的は白帝にいる蜀軍に援軍に来てもらって共同して魏を攻めること(→蜀軍が呉の領内を通過することになるしそこまで独断でやるのかとか→蜀に投降するつもりだった?)
○朱績の目的は白帝にいる蜀軍に援軍に来てもらって共同して孫綝を攻めること(→外国と通じてクーデターとかかなり無謀)
○朱績の目的は白帝にいる蜀軍に魏が来たら援軍に来てもらうこと(→同盟関係だし、自分だけでは魏に攻められたらもたないと考えていた場合の保険なら妥当?)
てことで。
最後のが無難な気もするけど。
でもやっぱり色々考えてみてもいまいちよくわからなかったり。
あと、呉の朱一族はいくつかあるけど、父朱然の朱氏。
朱異とかとはまた別。
(旧ブログ2015.8.30記事移転)