2016.02.21
1164文字 / 読了時間:1.5分程度
三国志

陸凱伝読んで気になったことメモ。

陸凱伝

  建衡元(269)年、疾病。
皓遣中書令董朝問所欲言、凱陳、
“何定不可任用、宣授外任、不宜委以国事。奚熙小吏、建起浦裡田、欲復厳密故跡、亦不可聴。
姚信、樓玄、賀劭、張悌、郭逴、薛瑩、滕脩及族弟喜、抗、或清白忠勤、或姿才卓茂、皆社稷之楨干、国家之良輔。願陛下重留神思、訪以時務、各尽其忠、拾遺万一。”
遂卒、時年七十二。

……
陸凱は上陳していった、
「何定を任用されてはなりませぬ。彼は地方官に任じて外に出されるのがよろしく、国家の大事を彼に委ねられるようなことがあってはなりません。
奚熙は小役人でありながら、浦里に水田をひらくことを建議し、かつて厳密がやったと同じようなことを行おうと望んでおりますが、これもお許しになってはなりません。
姚信、樓玄、賀劭、張悌、郭逴、薛瑩、滕脩、それにわが族弟(一族のうちの同世代の年少者)陸喜、陸抗といった者たちは、あるいは清廉に身を処しつつ忠勤にはげみ、あるいは天賦の才能を豊かにそなえ、それぞれの社稷の根幹となり、国家の良き補佐官となる者たちでございます。
どうか陛下には、彼らに厚いご配慮をお加えくださり、そのときどきの重要問題について彼らの意見を徴されますように
……

或曰寶鼎元年十二月、凱与大司馬丁奉、御史大夫丁固謀、因皓謁廟、欲廃皓立孫休子。
時左将軍留平領兵先駆、故密語平、平拒而不許、誓以不洩、是以所図不果。
太史郎陳苗奏皓久陰不雨、風気回逆、将有陰謀、皓深警懼雲。

次のような事件があったという者もある。
宝鼎元年(266)の十二月、陸凱は、大司馬の丁奉、御史大夫の丁固と謀り、孫晧が廟に詣でるときをとらえて、孫晧を廃して孫休の息子を帝位に即けようとくわだてた
この当時、左将軍の留平が兵を率いて孫晧の先導の任にあたっていたところから、ひそかにこの計画を留平に伝えた。
留平は一味に加わることを拒絶したが、伝え聞いたことは人にもらさぬと誓言をした。
留平が参加をことわったことから計画は実行されぬままに終わった。
太史郎の陳苗が孫晧に上奏をし、久しく陰(くも)ったまま雨が降らず、風がくるくると方向を転ずるのは、陰(ひそ)かな謀みが実行されようとしているからですといい、孫晧は警戒を強め心をおののかせたとされる。

陸喜は陸瑁の子。

てことで陸凱は身内の陸抗とかを重用するようにと孫晧に言ってたり。
けっこうあれなような。

で、それが269年。

その3年前266年、孫晧即位(264)から2年くらいか、陸凱は孫晧を廃位する計画を建てていた説があるとか。

陸抗は荊州の方にいたんだろうと思うけど、話とかあったのかな。

陸凱がもし孫晧を廃してたら、陸抗はそれはそれで陸凱に反対はしなかったんだろうなとか。

おわり。

(旧ブログ2014.8.27記事移転)









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