さっきの朱異の記事で石頭城が出てきたので、それについて。
呉主伝
十六年,権徙治秣陵。明年,城石頭,改秣陵為建業。聞曹公将來侵,作濡須塢。
建安十六年(211)、孫権は自分の役所を秣陵に移した。
次の年(212)、石頭に城壁を作り、秣陵を建業と改名した。
こんな感じ。
これを進めたのは張紘で、張紘伝はこんな。
張紘伝
紘建計宜出都秣陵、権従之。令還呉迎家、道病卒。
張紘は、都を〔呉から〕秣陵まで進出させるべきだとの建策をし、孫権はそれを納れて〔遷都を行った。都が秣陵に移されたあと〕呉に戻って家族のものたちを迎えてくるよう命ぜられ、呉へ往復する途上で、病気のため、張紘は死去した。
(旧ブログ2014.05.04記事移転)