2016.02.20
4208文字 / 読了時間:5.3分程度
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エーコ死去のニュース

今日、エーコ死去のニュースをツイッターでみつけて、びっくりしたり。

ウンベルト・エーコの本、改めて読みたい気分

てことで、改めて読み直したくなったり、持ってない本もほしいと思ったり。

今月新刊(新訳)も出るみたいで、それは19世紀でドレフェス事件とかも扱うみたいなので面白そうだけど、その辺についてはツイッターで書いたからいいや。

あと、今内容でほしい(もってない)と思っているのがこれ。

そのうち、読めそうになったら買おうかな。

ウンベルト・エーコ作品の個人的な思い出

ウンベルト・エーコとの出会いは、ニュースにも名前があがってるベストセラーの『薔薇の名前』から。

最初は授業で冒頭部分の訳を当てられて、ややこしいところを担当するはめになってさんざんだと思った思い出……。
とはいえ、出会いの経緯はともかく読んでみたらおもしろかったので、色々本買い集めていた学生時代ではあったり。
エーコの本を探して池袋のリブロをうろうろしていたりとかなにもかも懐かしい……とか懐古にひたっても仕方ないのでまあそれはいいか。

ていうか、『薔薇の名前』のホルヘはボルヘスモデル(ひどいモデルの仕方な気もするけど)といわれて、ボルヘスに興味をもったんだっけ。
ボルヘスもまた、自分にとっては、長いあいだとっても影響を与えてくれた作家だったり。
まあボルヘスについては今回は書くことはないだろうけれど。

それにしても、学生という身分ってわりと至福だなあと改めて思ったり。
いやいややらされることが薔薇の名前の一部を日本語訳すること……とか、環境良すぎ。

まあいいや……。

薔薇の名前の詩?

タイトル『薔薇の名前』のもとになった詩は最後等で引用されていて印象的。
それで全部知りたくなって探してみたりとか。

これはベルナールの詩で、ホイジンガの『中世の秋』(「死のイメージ」のところ)に引用されているから日本語訳があってありがたかったり。

バビロンの栄華は、いまいずこにありや、かの恐るべき
ネブカドネザル、力みてるダリウス、また、かのキルスは。
力もて押されてまわる車輪のごと、かれらは過ぎゆきぬ
名は残り、たしかに知られるも、かれらは腐りはてぬ。
今は昔ぞ、カエサルの議場、また凱旋。カエサル、汝(なれ)も失せにき。
あらあらしくも世界に力ふるいたる御身なりしが。
………………
いまはいずこ、マリウス、また廉直の士ファブリキウスは。
パウルスのけだかき死、その称うべき軍功(いさお)は。
デモステネスの神の声、またキケロの天よりの声は。
市民へのカトーの祝福、また、逆徒への怒りは。
レグルス、いまいずこに、また、ロムルスは、レムルスは。
きのうのばらはただその名のみ、むなしきその名をわれらは手にする。

この最後の一行が、この小説の最後に登場する。

それはこんなかんじ。

過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ

原文(ラテン語)はこんな。

stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.

これ、薔薇(rosa)は元はローマ(roma)だった、みたいな解説があって、たしかにこの詩の文脈からいってもものすごくローマっぽい気はするけれど。
直前が「ロムルスは、レムルスは」って、ローマ建国神話のローマを作った双子の名前なわけだし。
この歴史上の固有名を並べたあとに唐突に薔薇だし。
とりあえず、詩の内容としては、平家物語の冒頭っぽい気も。

まあそれはいいとして。

『薔薇の名前』の冒頭「手記だ、当然のことながら」

『薔薇の名前』の冒頭はこう。

手記だ、当然のことながら

この作品は、メインは中世の修道院の話だけれど、それを老いたアドソが書きのこした手記、という体裁。
そしてこの冒頭の次からは、作者がこの手記を手に入れた経緯等が書かれている。

こういう凝った感じのは好き。

とりあえず今自分が書いておきたいのは、この冒頭「手記だ、当然のことながら」は、とりあえず存在感あっていいなということくらいかな。

なくてもいいけれど、なかったらこの作品がなんとなくエーコの作品としてしまらなくなるとか物足りなくなるということはありそうな。

これについてはこの辺で。

『薔薇の名前』における「過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ……」

とりあえず今日は最初と最後をざっと読みなおしてみたり。

なので、冒頭についてはもう書いたから(あれでおしまい)次は最後のこの引用部分から。

〈過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ〉

これはアドソが引用しているんだけれど。

その少し前には、アドソが、この物語の舞台である燃えて廃墟になった僧院を訪ねる箇所がある。

アドソは、落ちていた羊皮紙の断片を拾い集めて持ち帰った、この辺の部分もかなり印象的。
そして、この少し先にある最後の詩との繋がりも強いんじゃないかと思ったり。

瓦礫のあいだを歩き回っているうちに、羊皮紙の切れ端をいくつか見つけた。写字室や文書庫から降ってきて、半ば地中に埋もれたまま、宝物のように生き延びたものだった。私はそれらを一つ一つ拾い集めた、あたかも切れぎれの紙片から一巻の書物を再構成しようとするかのように。
……

帰途のあいだはもとより、メルクに戻ってからも、長い長い時間を割いて、私はそれらの遺物の解読に当たった。ただの一語から、あるいは画像の切れ端から、その本体が何という書物であったのか、しばしば確認することができた。……
こうして、粘り強く再構成の努力を重ねていくうちに、ついには、小規模の文書館として、あの大規模な失われた文書館の記号として、片々たる語句と、引用文と、不完全な構文という、切断された四肢の書物から成る、一つの文書館を、私は思い描くようになった。

ここと詩の対応でいえば、「あの大規模な失われた文書館」が「薔薇」で(ローマ解釈でも更にわかりやすい)、「名前」が「記号」、みたいな?

この作品では、書物や記号についてたくさん登場する。

小説の良し悪しはともかく(とはいえ完全客観評論が趣味でもない限りそういいきれる人はほぼいないはず)、小説の好き嫌いはそこで扱うテーマ、主題が、自分にとって関心ある、好むものであるかどうかがかなり重要なのは確か。

この作品が扱うテーマはその点、自分の好みにもかなりあってたり。

ウィリアムの台詞はどれも魅力的というか奥が深い気がする。

小説としては、アドソがウィリアムと事件が解決した後は別れて二度と会っていないということで、こういう設定は好き。

あと、薔薇の名前が何を意味するか。
これについては、作品内で該当するといえるものが多ければ多いほど、小説としての良さが上がるものだと思うので、一つに絞ろうとするのは作品の良さを投げ捨てにいくようなもので、見つかるなら見つかるほどいいのかな。
今はそんな気分。

手記も記号。

ウィリアムが語る記号と書物について

ウィリアムは、この作品の枠を越えて印象に残る魅力的な登場人物だとは思ったり。

ウィリアムがアドソ(ウィリアムはアドソの師)に語る書物と記号についての言葉。

「書物にとっての喜びは、読まれることにある。書物は他の記号について語る多数の記号から成り立つのだが、語られた記号のほうもまたそれぞれに事物について語るのだ。読んでくれる目がなければ、書物の抱えている記号は概念を生み出せずに、ただ沈黙してしまう。ここの文書館も本来は収蔵されている書物を守るために生まれたのであろうが、いまではそれらを死蔵するために生きている。……」

まとめ

とりあえず、薔薇の名前をぱらぱらと読みなおしてみたり。

思っていたより、上下2巻はページ数は多いし文字数もぎっしりだけれど、でも楽しい本ではあったり。
最初の方が多少とっつきわるいかな。
エーコの小説、他のでも思ったけれど、本題に入るまで、本人が文才あって本題以外だろうと何でも器用に上手く書けるせいな気はするけれど、多少時間がかかるような。

つまり、僧院のことを書くからといって、アドソが僧院に到着した時から僧院について書くあたりが、冗漫に思えるんだけれど。
とはいえ、推理小説でもあるとしたら、推理小説としてフェアであるためみたいな配慮なのかなあ。

ただ、個人的に特に推理小説が好きなわけじゃないから、まあしかたない。

とりあえずエーコの作品を読んだり、考えたりしたかったので、この記事を書いてみたり。

ウィリアムも「書物にとっての喜びは、読まれることにある」っていってるし、とりあえず読みなおしてみてこの2冊の本が喜んでくれてたら楽しいなとか、なんとなくそんなことを思いついたり……。

おわり。





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