2017.01.02
5717文字 / 読了時間:7.1分程度
三国志

曹髦の死に関する出来事も、魏末や西晋を考える上で避けて通れないことだと思っていたり。

  • 曹髦は何故こんなことをしたのか
  • 司馬昭は皇帝を殺したのか
  • 責任はどこに帰属するか

とりあえずこの辺を個人的にぼちぼち整理していきたい感じ。

後もう少し考えたいところとしてはこの辺も。

  • 鍾会と曹髦の死の事件
  • 曹髦が殺された事件の名称

全部は無理だと思うけれど、これらについてぼちぼち考えていきたいという予定。

曹髦が殺された事件の名称?

ある事件をどう呼ぶかも結構、歴史解釈が関わってくるから重要。

つまり1945年に終わった日本の戦争の名称のことと同じような感じで。

三国志の注の中の曹髦の死

三国志の注だと、「高貴郷公之難」「高貴郷公之殺」という表現が見られる。

晋諸公賛曰、充字公閭、甘露中為大将軍長史。高貴郷公之難、司馬文王賴充以免。為晋室元功之臣、位至太宰、封魯公。

干寶晋紀曰、高貴郷公之殺、司馬文王会朝臣謀其故。太常陳泰不至、使其舅荀顗召之。顗至、告以可否。泰曰、「世之論者、以泰方於舅、今舅不如泰也。」子弟内外咸共逼之、垂涕而入。王待之曲室、謂曰、「玄伯、卿何以處我?」對曰、「誅賈充以謝天下。」文王曰、「為我更思其次。」泰曰、「泰言惟有進於此、不知其次。」文王乃不更言。

世語曰、偉字公衡。偉子長武、有寵風、年二十四、為大将軍掾。高貴郷公之難、以掾守閶闔掖門、司馬文王弟安陽亭侯幹欲入。幹妃、偉妹也。長武謂幹曰、「此門近、公且来、無有入者、可従東掖門。」幹遂従之。文王問幹入何遲、幹言其故。参軍王羨亦不得入、恨之。既而羨因王左右啟王、満掾断門不内人、宜推劾。寿春之役、偉従文王至許、以疾不進。子従、求還省疾、事定乃従帰、由此内見恨。収長武考死杖下、偉免為庶人。時人冤之。偉弟子奮、晋元康中至尚書令、司隸校尉。寵、偉、長武、奮、皆長八尺。

とりあえずこんな感じ。

これらが事件の名称なのかただの記述なのかは微妙だけれど、とりあえずどういう表現をしたかということで。

晋書の中の曹髦の死

てことで、晋書で「高貴郷公之」で検索してみるとこんな感じ。

(王祥伝)
高貴郷公之弑也、朝臣挙哀、祥号哭曰「老臣無状」、涕淚交流、衆有愧色。頃之、拝司空、転太尉、加侍中。五等建、封睢陵侯、邑一千六百戸。

(賈充伝)
転中護軍、高貴郷公之攻相府也、充率衆距戦于南闕。

之をいれると検索結果が少ないので、しかたないから「高貴郷公」で検索してみる。

(宣帝紀)
明帝時、王導侍坐。帝問前世所以得天下、導乃陳帝創業之始、及文帝末高貴郷公事
明帝以面覆牀曰:「若如公言、晋祚復安得長遠!」

これ、世説新語にもあるけれどここだと「高貴郷公事」。

あとはこんな感じで表現されていたり。

(天文志)

景元元年、高貴郷公為成済所害。

(司馬孚伝)

  及高貴郷公遭害、百官莫敢奔赴、孚枕屍於股、哭之慟、曰:「殺陛下者臣之罪。」

(荀勗伝)
  高貴郷公欲為変時、大将軍掾孫佑等守閶闔門。

以上が、高貴郷公(曹髦)の名前での表現。

ただ、この事件については別の表現もあったり。

(天文志)

五月、有成済之変

甘露元年九月丁巳、月犯東井。二年六月己酉、月犯心中央大星。八月壬子、歳星犯井鉞。九月庚寅、歳星逆行、乗井鉞。十月丙寅、太白犯亢距星。占曰:「逆臣為乱、人君憂。」
景元元年五月、有成済之変及諸葛誕誅、皆其応也。
二年三月庚子、太白犯東井。占曰:「国失政、大臣為乱。」是夜、歳星又犯東井。占曰:「兵起。」至景元元年、高貴郷公敗
三年八月壬辰、歳星犯輿鬼鑕星。占曰:「斧鑕用、大臣誅。」四年四月甲申、歳星又犯輿鬼東南星。占曰:「鬼東南星主兵、木入鬼、大臣誅。」景元元年、殺尚書王経。

(石苞伝)
既出、白文帝曰:「非常主也。」数日而有成済之事

てことで、高貴郷公が殺された事件系の表現と、それとは別に殺した当事者成済の名前を冠した表現の少なくとも2系統があることがわかったり。

成済の変?

西晋の公式見解は、司馬昭の説明そのままだと思うから曹髦が殺されたのは成済のせい、というのは西晋的公式見解でもあると考えていいはず。

(高貴郷公紀)

戊申,大将軍文王上言:「高貴郷公率将從駕人兵,拔刃鳴金鼓向臣所止;懼兵刃相接,即敕将士不得有所傷害,違令以軍法從事。騎督成倅弟太子舍人濟,橫入兵陳傷公,遂至隕命;輒收濟行軍法。臣聞人臣之節,有死無二,事上之義,不敢逃難。前者變故卒至,禍同發機,誠欲委身守死,唯命所裁。然惟本謀乃欲上危皇太后,傾覆宗廟。臣忝當大任,義在安国,懼雖身死,罪責彌重。欲遵伊、周之権,以安社稷之難,即駱驛申敕,不得迫近輦輿,而濟遽入陳間,以致大變。哀怛痛恨,五内摧裂,不知何地可以隕墜?科律大逆無道,父母妻子同產皆斬。濟凶戾悖逆,干国乱紀,罪不容誅。輒敕侍御史收濟家屬,付廷尉,結正其罪。」

戊申の日(二十六日)、大将軍司馬文王が言上した、
「高貴郷公は供まわりの兵士をひきつれ、抜刀し金鼓をうち鳴らして、私が駐屯している所へ向かってきました。武器を交える結果になるのを心配し、ただちに将兵に傷害を与えることのないよう、命令に違反したならば、軍法によってとり裁くと申し渡しました。〔ところが〕騎督の成倅の弟、太子舎人の成済は、勝手に軍陣に突入して高貴郷公を傷つけ、ついに生命を奪うにいたったのです。〔そこで〕すぐさま成済をひっ捕らえ軍法を執行いたしました。私の聞くところによりますれば、臣下たる者のふむべき忠節は、死しても二心を抱かないことにあり、お上におつかえする忠義は、けっして危難を避けないことにある、とか。さきに変事が勃発し、災禍はばねをはじくのと同様で、〔突如として発生いたしま〕したが、実際〔私は高貴郷公に〕身をゆだね死を覚悟し、ひたすらご裁断のままに従うつもりでした。しかしながら、この陰謀はなんと、上は皇太后を危険におとしいれ、宗廟を転覆させようとするものでありました。私はかたじけなくも大任を仰せつかっておりまして、国家を安定させることこそ、守るべきその道義でありますのに、この身が死に絶えても、〔皇太后に危害が加えられた場合〕その責任はいっそう重いことになると心配いたしました。〔そこで〕伊尹・周公のとった非常の手段にならって、国家の危機を鎮めようと念じ、すぐさまお諫め申し上げようと何度も行き来いたしましたが、みくるまに接近することができず、そのうちに成済がにわかに軍陣の間に突入して、大変事をひきおこしてしまいました。私は悲哀と痛恨の念に、五臓もひきちぎれんばかりでございますが、いったいどこで生命を絶つべきかもわかりません。刑法の定めるところでは、君に対する大逆無道を行ったものに大して、その両親・妻子、兄弟姉妹をことごとく斬殺に処することになっております。成済は凶悪非道な反逆者であり、国を乱し掟を犯した罪は、誅殺を免れません。即刻侍御史に命じ成済の一族を逮捕させ、廷尉にひきわたして、その罪を裁かれますように。」

なので、「成済の変(成済之変)」と表現するとしたら、それは西晋的公式見解に基づく名称、あるいは西晋に否定的な見方をするならば西晋のプロパガンダ準拠の名称、とはいえると思ったり。

中国で「之変」というと、イメージするのは土木の変とか靖康の変とかが一番有名なのかな。

この事件でも皇帝の曹髦が殺されているわけだけど。

ただ、成済の突然の大物感は、個人的には正直笑えるという感覚はあったり。

成済の変は不適当なのか

といっても、最近は成済の変という名称は、むしろこの事件の性格をよく含んでいていいのではないかなと思ったり。
つまり、西晋の公式見解が、この事件を成済のせい、にしている事実も含めている名称でもある点で。

ついでに、誰が殺したかと誰の責任か

ついでに、曹髦を誰が殺したかについて。
これも一度整理しておきたいかな。

司馬昭の「高貴郷公率将從駕人兵,拔刃鳴金鼓向臣所止;懼兵刃相接,即敕将士不得有所傷害,違令以軍法從事」といった発言。

これ自体が嘘だとは今のところ個人的には思っていなかったり。

ただ、誰の責任か(悪いという意味でもない)という点では司馬昭の責任だとは思ったり。

つまり、例えば飼い犬が他人を噛んで怪我をさせたりしたら飼い主の責任だということと同じ意味で(例え話はややこしくなるとか問題をすり替える可能性もあるけれどここではまあいいとして)。

誰が殺したかと誰の責任か――は別の問題だと思うけれど。
司馬昭、西晋は責任を殺した成済に帰している、あるいは帰そうとしている。

その点について。

同時代的にはそれでも司馬氏支持するほうがメリットがあると考えられていて、成済のせいという見解で一応受け入れられたんだと思う(魏末には、司馬氏に不都合なことを認めることは、司馬氏に期待する自分にとっても不都合だったとか)。

ただ、司馬氏からメリットを期待できない立場の人間(東晋以降は司馬氏は大した期待はされていなかったと思う)に対して、確かに成済が悪いし司馬昭には責任はないと考えることを期待するのは無理があるのではないか、とか。

曹髦の死の責任の帰属の認識

改めてこの東晋の明帝(司馬紹)の逸話。

(世説新語・尤悔)

王導、溫嶠俱見明帝,帝問溫前世所以得天下之由。溫未答頃,王曰:「溫嶠年少未諳,臣為陛下陳之。」
王乃具敍宣王創業之始,誅夷名族,寵樹同己,及文王之末高貴鄉公事。明帝聞之,覆面著床曰:「若如公言,祚安得長!」

王導と温嶠とが明帝(司馬紹)に謁見した。帝は、西晋の王朝が天下を手に入れた理由を温に尋ねた。
温がまだ答えないでいると、しばらくして王が言った。
「温嶠は年が若く、まだよく知っておりません。わたくしが陛下のためにそれについて申しあげましょう」
王はそこで宣王(司馬懿)が創業の始め、名族を誅滅し、おのれに賛同するものを引きたてたこと、さらに、文王(司馬昭)の末には、魏の高貴郷公(曹髦)を殺害した事を詳しく述べたてた。
明帝はこれを聞くと、顔をおおい、牀に身を伏せて言った。
「もし君の言葉の通りであるならば、この王統はどうして長く続くことができよう」

(宣帝紀)
明帝時、王導侍坐。帝問前世所以得天下、導乃陳帝創業之始、及文帝末高貴郷公事
明帝以面覆牀曰:「若如公言、晋祚復安得長遠!」

ここで重要なのは、これが事実かどうかの問題ではなく、このようなことがあったと人々に考えられてそれが世説新語、晋書などで書き残すべきものだと判断され残されていることなんじゃないかな。

世説新語と晋書では微妙に違うけれど(晋書より世説新語の方が古い)、どちらにも共通するのが、明帝が高貴郷公のことをきいて顔を覆うという流れ。

「文帝末高貴郷公事」ってことで、司馬昭が曹髦を殺したとは書いていない。
ただ東晋明帝の反応は、曹髦の死に関して責任は司馬昭に帰属するものだという認識があった、あるいは皇帝殺しという司馬氏の汚点として認識していること――を示しているのではないかなっていう。

てことで。
この逸話から導き出されるんじゃないかということ。

  • 多分王導をはじめとする東晋の貴族、東晋の皇帝である明帝は、曹髦を殺した責任者は司馬昭だったと考えていた
  • 多分世説新語の著者や読者は、曹髦を殺した責任者は司馬昭だったと考えていた(あるいは多数派だった)
  • 多分晋書の著者(一応)は、曹髦を殺した責任者は司馬昭だったと考えていた

この辺のことは言えるんじゃないかとは思ったり。

晋書の認識

晋書の成立的なこともあるだろうけれど。
晋書の天文志では「成済之変」と西晋公式準拠的な表現をしているけれど、一方で宣帝紀には世説新語準拠みたいな(直接そうかはしらない)東晋明帝の逸話が収録されていたり。

責任のとり方の意識ついて、司馬昭と姜維との比較

あと、思いついたのでこれも書いておく(あと、司馬昭は曹操とも比較したいけれどこれはまたいずれ)。

姜維は段谷の戦いで大敗して、その責任をとって降格したという感じ。

(姜維伝)

十九年春,就遷維為大将軍。
更整勒戎馬,與鎮西大将軍胡濟期会上邽。濟失誓不至,故維為魏大将鄧艾所破於段谷,星散流離,死者甚衆。
衆庶由是怨讟,而隴已西亦騷動不寧。
維謝過引負,求自貶削。為後将軍,行大将軍事。

十九年(256)春、遠征先において姜維を大将軍に昇進させた。
さらに戦闘準備をととのえ、鎮西大将軍の胡済としめし合わせて上邽で落ち合う手はずであったが、胡済は約束を破ってやってこなかった。
そのために姜維は段谷において魏の大将鄧艾にうち破られ、軍兵はちりぢりになって逃げまどい、多大の戦死者を出した。
人々はそのためひじょうに怨み、隴以西の地でも騒乱がおこり不安定になった。
姜維はあやまちを謝し責めを負って、みずから官を下げてほしいと願い出、後将軍・行大将軍事となった。

失敗とその対処という点で、先に引用した司馬昭の事例と比較すると、結構対照的な感じはしたり。

つまりもし姜維が司馬昭的な責任の帰属のとり方をするなら、段谷の敗戦は姜維が責任を負うことでは全然ないので降格する必要はない。
姜維がこの件で司馬昭的な対応をとるとすれば、単に胡済のせいだと賈充に責任をとらせて賈充を殺すことに相当すると思うので、成済のせいに相当するのは胡済の部下の某の命令違反のせい――ということかな。

まあ姜維は胡済の部下の命令違反のせいにして降格しないでいられる立場や力ではなかっただけということも考えられるけれど。

とはいえ今回は姜維の話ではないからこれはここまで。

さいごに

とりあえず、途中だけれど長くなったので今回の記事はここまで。

ただ人の上に立つ立場の人物は、部下が勝手にやったではすまない、と政治的には思われるのは古今東西わりと共通することな気はするし、ということは人間の心情的にそういう感覚は広く備わっているということかも。

冒頭であげた課題のなかで今回一応処理したのはチェックつけてみる。

  • 曹髦は何故こんなことをしたのか
  • 司馬昭は皇帝を殺したのか
  • 責任はどこに帰属するか☑
  • 鍾会と曹髦の死の事件
  • 曹髦が殺された事件の名称☑

次、また同じことを書きはじめないように(やりがち)。

とりあえずおわりー。





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