2016.10.30
1689文字 / 読了時間:2.1分程度
novel_memo

ハロウィンっぽい小説

ハロウィンだしってことで、ハロウィンっぽい短編(というか掌編)書いてみたり。

で、公開はどうしようか悩んだけれど、結局カクヨムに独立した短編として公開してみることに。
あんまり数増やしたくないけど、今の短編集、三国志ってキャプションに書いたから混ぜるのもなあってことで……。

増えたらそのときにまとめるとか考えればいいんじゃないかなとかで。

1000文字ちょっとなので、とりあえずこの長さだと完結しやすいらしい。

引き続き、1000-2000文字程度を理想としてしばらく小説書きたいな。

今書き途中のは全部もっと長いけど。

おかげで今月中完成は絶望的。

絵文字?

絵文字を使ってみたり。

→🎃👻🍭🍬🐶

本文内に使ってるわけではないけど。

機種依存文字だから環境によって違うのはしかたないけれど、PC、スマホから見た限りは文字化けはしてないので(自分の環境では)、まあいいかなとか。

固有名詞を使いたい現象、雑感

カクヨムの近況ノートにも書いたけど。

自分の場合どうしても登場人物を、誰か名前のある(自分でつけるのではなく)人物にしたくなるけれど(歴史人物とか)。
この現象を何と呼べばいいのか。

これは、本歌取り的な効果があるといえるのかもしれない。

本歌取り便利だし。

故事とかを使うのもそう。

世阿弥も確か、ちゃんと本説のあるものが良いとかいっていた。

近現代の流行りの考え方ではないとは思うけれど、技巧の一種だと思う。

作者がいて、作者がオリジナルの作品を作り完成させる――というモデル。

そういうモデルにもとづいて考えると、海外小説(翻訳小説)は、オリジナルではない(原語ではない)翻訳によって複数のバリエーションがあるという理由で、劣化というふうに思えるのかもしれない。

ただそうなのかなとも思う。

原語であっても、作者と読者は、作者が記憶喪失にならない限り、完全に同じものをみること、読むことはできないだろうし。

歴史人物の登場、歴史小説も、知識によって同じように左右される。

それはできれば解消されるべき不都合だと考えること自体、馬鹿げているのではないかということ。

翻訳という形は、その外に原語版があるということを想起させる。
それは、本説のようなもので、むしろ翻訳されなかった作品にはない、文学的効果を追加しているといえるのではないか。

歴史小説も同じようなことがいえるのではないか。

すべてが小説作者のオリジナルの登場人物であれば、作者は彼らにとって全知全能の存在であるはずである。
ただしその場合、全知全能の存在がいる世界という世界観を、その形式によって提示していることになるのではないか。

だから、すべてを知っているわけではないという世界観にする場合には、それも書く必要がある。

(カフカがKの情報をほとんど提示しないのは、全てを把握することは不可能だということを物語ろうとしたことではなかったかとか)

歴史人物の場合は、事情が異なる。
彼らは、作者が知らない部分を、歴史人物の名前になっているかぎり、持っている。

おわりに

とかとりあえず考えたいけれど、できれば書きかけの小説の仕上げをがんばりたいかな。
今月は無理でも今週はありだと思うし。

それにしても、帽子の中の……を三国志にうっかり限定したせいで、今書いているもの(パラケルスス他)どうしようか悩む。

完結するなら(させるつもりはあるけど)別連載にしてもいいけれど。
今まで書き途中が多い負の実績の方がおおいからあんまりやる気がおきない。

一応、登場しないわけでもないけれど。
どうしようか考え中。

おわり。









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三国志他歴史、小説、ゲーム等に関するメモ用ブログ。

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