2016.07.10
2101文字 / 読了時間:2.6分程度
三国志

趙雲別伝の趙雲像が、別伝だからという理由で眉唾扱いされるなら、その他の別伝も同じ扱いしないと辻褄あわないと思う今日このごろ。

まあ出処が何かについて注目すること自体は重要だと思うけど。

閑話休題。

習鑿歯の変わった費禕像?

習鑿歯が描く費禕には、その他の費禕のイメージとはわりと異質なものがあったり。

これ。

(董允伝)

襄陽記曰、董恢字休緒、襄陽人。入蜀、以宣信中郎副費禕使呉。
孫権嘗大醉問禕曰、「楊儀、魏延、牧豎小人也。雖嘗有鳴吠之益於時務、然既已任之、勢不得軽、若一朝無諸葛亮、必為禍乱矣。諸君憒憒、曾不知防慮於此、豈所謂貽厥孫謀乎?」
禕愕然四顧視、不能即答
恢目禕曰、「可速言儀、延之不協起於私忿耳、而無黥、韓難御之心也。今方掃除強賊、混一區夏、功以才成、業由才広、若捨此不任、防其後患、是猶備有風波而逆廃舟楫、非長計也。」権大笑楽。諸葛亮聞之、以為知言。還未満三日、闢為丞相府属、遷巴郡太守。

『襄陽記』にいう。董恢は字を休緒といい、襄陽の人である。蜀に入り、宣信中郎の官位をもって費禕の副官となり呉に使いした。
孫権はあるとき大いに酔っぱらって、費禕に質問した、「楊儀、魏延は牧童程度の小者である。かつて時局のために鶏や犬ほどの役に立っったことがあるけれども、しかし彼らを任用したからには、そう軽視するわけにはいかないだろう。もしも突然諸葛亮がいなくなったら、必ず禍いをおこすことになる。諸君は思いまどって、まったくどういう対策をとってよいかわからなくなる。いったいいわゆる〔子孫に〕『厥の孫謀を貽(おく)る』(詩経)ことになるのか。」
費禕は愕然として周囲をみまわし、すぐに答えられなかった
董恢は費禕に目くばせしていった。……

ここ以外で描かれた費禕は、大抵如才ない感じなので、なんとなく不思議な感じはしたり。

ちなみにこの記述については、裴松之は批判しているので、裴松之としてはこの費禕関連の記述は習鑿歯の出来の悪い(自分が書いた別のものと矛盾している)創作だと考えたということかな。

松之案、漢晋春秋亦載此語、不雲董恢所教、辞亦小異、此二書倶出習氏而不同若此。本伝雲「恢年少官微」、若已為丞相府属、出作巴郡、則官不微矣。
以此疑習氏之言為不審的也

臣裴松之は考える。『漢晋春秋』にもまたこの記事を記載しているが、董恢の告げたものだとはいっておらず、文辞も少し異なっている。この二書はともに習鑿歯の手になるものなのに、このような違いがある。本伝には「董恢は年が若く官位が低かった」とある。もしすでに丞相府の属官となり、外に出て巴郡太守になっていたのならば、官位は低くはない。これによって習鑿歯の記事はいいかげんではないかと思われる

呉での費禕の振る舞いのその他の記述?

この習鑿歯襄陽記仕様費禕以外はだいたいこんな感じ。

(費禕伝)

孫権性既滑稽,嘲啁無方,諸葛恪、羊誖等才博果辯,論難鋒至,禕辭順義篤,據理以答,終不能屈。

孫権は生来口達者なうえに、人をやたらにからかう癖があり、諸葛恪・羊誖(どう)らは才能が広く弁舌さわやかであって、議論をふっかけ舌鋒をふるって攻撃してきたが、費禕が正しい言葉遣いと篤実な態度で、道理によりつつ返答したので、けっきょく屈服させることができなかった。
……

(諸葛恪伝注)

〈恪別傳曰:権嘗饗蜀使費禕,先逆敕群臣:「使至,伏食勿起。」禕至,権為輟食,而群下不起。禕啁之曰:「鳳皇來翔,騏驎吐哺,驢騾無知,伏食如故。」恪答曰:「爰植梧桐,以待鳳皇,有何燕雀,自稱來翔?何不彈射,使還故鄉!」
禕停食餅,索筆作麥賦,恪亦請筆作磨賦,咸稱善焉。

『諸葛恪別伝』にいう。……
費禕は食べていた餅を置くと、筆を求めて「麦の賦」を作った。諸葛恪も筆を求めると、「麿(うす)の賦」を作った。両者ともに立派な作品だと称賛された。

費禕伝や費禕別伝とかならともかく、諸葛恪別伝の中でも費禕はやりこめられているわけではないので、やっぱり習鑿歯のあの費禕はかなり特異なものなんじゃないかなとか。

レアな費禕像

とはいえ、習鑿歯の費禕像も、費禕解釈の自由度の広がり(主に創作的に)を提供してくれていると思えば、一概に悪いとはいえないところはあるかも。

孫権に(諸葛恪に、ですらない)やり込められて言い返すこともできず、属官の顔をみて助け舟を出してもらうだけとかいうレア費禕。

費禕別伝?

別伝の中の当人を上げる記述はとりあえず疑ってみること自体は(趙雲だけでなく全てをということであれば)悪くないかも。

たとえば、費禕エピソードとしてよく知られている董允が費禕の真似をしようとして出来なくて嘆いたのは、費禕別伝。

(費禕伝注)

〈禕別傳曰:於時軍國多事,公務煩猥,禕識悟過人,每省讀書記,舉目暫視,已究其意旨,其速數倍於人,終亦不忘。常以朝晡聽事,其間接納賓客,飲食嬉戲,加之博弈,每盡人之歡,事亦不廢。
董允代禕為尚書令,欲斅禕之所行,旬日之中,事多愆滯。允乃嘆曰:「人才力相縣若此甚遠,此非吾之所及也。聽事終日,猶有不暇爾。」

ひとまずわけておくのはいいかも。

まとめ

とりあえず書いておきたいことはこれだけだっけ?

なら終わり。





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