三国志関連の評価、興味、好き嫌いの基準?
この辺の基準は人それぞれだと思うけれど。
三国志だと強弱とか勝ち負けとか正しいかどうかとか(善悪は最近は流行らないかな)その辺じゃないかなあとは思ったり。
自分の場合が何なのかよくわかっていないけれど。
とりあえず一つの基準はあるような気はしたり。
ともかく負け組という属性に惹かれる――という基準。
別に勝ち組だからといって嫌いというのではなくて、勝ち組だから興味を持つということはないという感じ?
鍾会が好きなのは、勝ち組っぽいところに属していたにもかかわらず、自分からわざわざ全力で負け組にダイブしていったみたいなロックさを感じるから――というのもあるかも。
負け組にはわびさびもある……と思うし。
わびさびとか幽玄とか、そういう美意識好きだし。
能も、とりあげるのは敗者ばっかり(だと思う)。
たぶん、そこには壊れていくものを悲しむという感覚はあると思うけれど。
厳密にいうとそれは、壊れていくものを悲しむ感覚を愛好する……という趣味、美的感覚なんじゃないかなとか。
競馬とか前やっててやめたけど、負けがこむのも勝ちたくて負けるならまあいいけれど、あの外れた時の絶望感がたまらない……みたいな依存はさすがにひどいと思ったのもあってやめた感じだったり。お金ありあまってるわけじゃないのにお金溶かすのが快感とかリアルで死ぬし、リアルで死んだらそもそも死にそうな絶望感も味わえないし。
負け組は好きだけど被害者は好きじゃない
あとそういえば、似たようでいて、自分にとってはまったく違うのが、負け組と被害者――だったり。
被害者でかわいそう……というのは、むしろ嫌いっていう。
負け組かつ非被害者――これが、自分にとって重要な要素かな。
被害者は、被害を受けている時点では負け組だけど、被害者という立場はその中に正当性を主張するという要素が含まれているので(被害者と立場としての被害者の差)、なんとなく当たり屋への嫌悪感みたいなものを、被害者という立場を愛好するスタンスには感じるので、苦手だったり。
正当性を主張するのはいいけど、この乞食的な手法が、せこくて嫌。
せこくないことの価値
基本的には、自分の好き嫌いはわりと潔癖だとは思っていたり。
潔癖といっても、だますとか強奪とかはまだいいけれど、乞食系は嫌という潔癖。
乞食(というか乞食行為)を嫌うような、弱さへの嫌悪感があるとすれば、それは強さへの憧れなんだろうけれど。
でもそういう潔癖さは大事だよねという価値観ではあったり。
スポーツマンシップというか正々堂々というか、そういう理想、そういったものへのあこがれは、古今東西やっぱりあるんだと思う。
せこくないことの素晴らしさとか。
せこければ失敗しない?
せこければ失敗しないという環境は、これはこれでぬるいと思ったり。