2016.05.07
2267文字 / 読了時間:2.8分程度
三国志

征呉に関する賈充の認識は正しかったのではないか

今日の午前中、鄧艾の呉征伐計画のあれこれとか、賈充が呉征伐に乗り気でなかったこととかぼんやり考えてたり。

考えていたのは、司馬昭は呉討伐をしなかった(できたかはともかくとして)、司馬炎は結局呉討伐をして成功したけれど、しばしば呉を滅ぼすまえまでは名君だったみたいな評価のこととか。

呉討伐に成功して晋は天下統一できたので、結果論的に反対していた賈充は(他の要因もセットでだろうけど)間違っていたという評価になっている印象があるけれど。

司馬炎が呉を滅ぼしたところで名君であることをやめたことがその後の西晋の混乱(ひいては滅亡と五胡十六国時代の原因に)の端緒と考えるなら、もしかすると賈充の考え方(呉を滅ぼす時ではない)自体は悪くなかったんじゃないかなとか。

考えることが有益か、正しいかと、その人物自身が優れているか清廉かは、本質的には別のこと。

呉征伐は羊祜が計画をしていたことで羊祜の方が賈充より人格的に優れていることは事実かもしれないけれど、それと判断や認識自体の正しさとは別のことだし。

それで、外患があったほうがいい、みたいなことを言っていた人がどこかにいた気がするけれど思い出せない一日だったけど。

やっとみつけたのがこれ。

「国外が安寧だと内憂が必ずおこる(范文子)」

自分の記憶のなかにあったのはこれなので、とりあえず見つかって何より。

(春秋左氏伝・成公十六年)

文子曰.吾先君之亟戰也有故.秦狄齊楚皆彊.不盡力.子孫將弱.今三彊服矣.敵楚而已.
唯聖人能外内無患.自非聖人.外寧必有内憂.盍釋楚 以為外懼乎.

(范文子)
聖人ならば国の内外に憂患なしと参ろうが、聖人ならぬ身なれば、国外が安寧だと内憂が必ずおこる。このまま楚を外憂として残す方がよいのだ

范文子(士燮)も晋(春秋時代)の人だし。

この人も、戦わないほうがいいと考えていたけれど結局戦い(鄢陵の戦い)に参加するはめになって、しかも勝利した――というところは賈充に似ている。

ただその後は違うけれど。

范文子はその後(翌年)こんな感じ。

(春秋左氏伝・成公十七年)

晋范文子反自鄢陵.使其祝宗祈死曰.
君驕侈而克敵.是天益其疾也.難將作矣.愛我者唯祝我使我速死.無及於難.范氏之福也.

晋の范文子(士燮)は鄢陵(えんりょう)の戦からもどると、自家の祝宗(祈祷官)に己れの死を祈らしめた。
「君(わがきみ)は驕侈なのに敵を撃破できたのは、天がその欠陥を加えようとしているのだ。禍難がやがて起る。
我を愛しむ者はひたすら我を詛(のろ)い、我をすみやかに死なしめて、禍難に遭うのを免れしめよ。それが范氏にとって福(さいわい)である」

あと、范文子は士燮ともいうけれど(この時代ややこしい)、士燮は三国志にも出てくるので紛らわしいから范文子でいいかなっていう。

范文子の父は范武子で士会。

あと、晋の実質的な外患としては異民族がいたけれど、ただし異民族はノイズみたいな感覚(まっとうな敵ではなく)は当時なかったのかなとか。

司馬炎が賈充のいうことをきいて呉を滅ぼさなかったらどうなったか?

IFの話は楽しい。

司馬炎が賈充の意見に耳を傾けて、張華その他に唆されずに呉を討たなかったら晋はどうなったのかなとか、その辺が少し気になっていたり。

呉もどうなるかともおもうけれど。

蜀の方は、蜀滅亡が好きなので(蜀も鍾会も好きだけど、それこみで好きだから……)滅亡したほうが個人的によかったのでそれは今は考える予定はないけれど。もしくは鍾会の計画が成功したIFならいいけれど。

司馬炎は、呉を滅ぼした後は微妙という評価が定説な印象(今はこれでいいや)。

じゃあ呉を滅ぼさなかったら、緊張感が続いて西晋のその後もまた違っていたのかなあとか。

とはいえ、呉を滅ぼさなければ、晋の外敵は異民族(このころ忙しかった、文鴦とかが活躍していた)+呉のままでありつづけるわけで、それはそれで大変ではありそうな。とはいえ、外患を内向けの引き締めに利用するのはわりとよくあることだと思うし、どうなったかわからないけれど。

どうなったんだんだろう。

人物と才能は別

そういえば、石苞伝に、人物と才能は別というのがあった。

晋書・石苞伝

稍遷景帝中護軍司馬。
宣帝聞苞好色薄行,以讓景帝。
帝答曰:
「苞雖細行不足,而有經國才略。
夫貞廉之士,未必能經濟世務。
是以齊桓忘管仲之奢僭,而錄其匡合之大謀;
漢高舍陳平之汙行,而取其六奇之妙算。苞雖未可以上儔二子,亦今日之選也。」
意乃釋。

(適当訳)
しばらくして、景帝(司馬師)の中護軍司馬に転任した。
宣帝(司馬懿)は石苞が好色で素行が悪いと聞いて、景帝をなじった。
景帝は答えていった、
「石苞は細かい素行は不足といえども、経国の才略を有しています。
そもそも貞廉の士が経済世務をよくしたことはありません。
……
石苞は管仲、陳平の二子以上でなくても、また今日選ばれるべき人物なのです」

賈充も実は陳平だったかもしれない可能性?

よくわからないけれど、とりあえず何かに使えるかもしれないし。

まとめ

ブログのAboutページあたりに、方針一応追加したほうが落ち着くかなあ。

最終的には創作(脳内含む)のために調べたり考えたりしているということ。

だから微妙に判断基準が、研究とは違う気はしたり。

どっちかというと鄧艾について考えたかった(あと鍾会)けれど、それはまたいずれ。

今回は、探しもののメモメイン。

とりあえずおわり。

http://twilog.org/medamayaki1/date-110222





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