2016.04.02
2476文字 / 読了時間:3.1分程度
三国志

三国志関連地図、荊州や洛陽方面を多少追加。
デザインが違っていたりするけれど、まだ作り途中なのでそういうのは後回しってことで。

荊州周辺道表示付き地図

三国志地図(北伐関連)荊州洛陽

で、この地図は現在の中国の道も表示させてみたんだけど。

地図の作り方のアドバイスもらったときに道も便利って言われてそれいいなと思ったので。

で、結構現在の道だけど三国志の都市も結構この道で繋がってるーということが今回わかったり。

北伐と荊州?

で、北伐の話。

都市名だけの完全白地図で考えると北伐、永安から北上とか巴西から真西へ出てもいいんじゃないかとか思えなくもないけれど。

地形と現在の幹線道路表示付きの地図で見てみると、地形的に現実的でなさそうということがわかるかも。

孟達は長江から北上して上庸の方に行った気がするけれど、別に絶対通れないのと大軍動かすのは無理というのとは同じではないし。

(劉封伝)

建安二十四年(219),命達從秭歸北攻房陵,房陵太守蒯祺為達兵所害。達將進攻上庸,先主陰恐達難獨任,乃遣封自漢中乘沔水下統達軍,與達會上庸。上庸太守申耽舉眾降,遣妻子及宗族詣成都。……──自關羽圍樊城、襄陽,連呼封、達,令發兵自助。封、達辭以山郡初附,未可動搖,不承羽命。會羽覆敗,先主恨之。又封與達忿爭不和,封尋奪達鼓吹。

てことでこの地図を見ると、蜀が荊州方面から北伐するためには江陵(呉)から北上するかあるいは漢中から東に進んで上庸(魏)を取る――というルートが現実的なルートといえるのかな。

まあ鄧艾みたいなのもあるけれど、そのやり方では大軍送り込むことはできないんじゃ意味ないだろうし。

劉備と荊州経由北伐

てことで、劉備は夷陵で結果的に呉に大敗したけれど。
劉備の荊州は絶対必要という考え方自体は、大局的には間違ってなかったんじゃないかなとか。

夷陵の戦いの劉備は演義では義弟関羽を殺されて頭に来て仇討ちという設定になって、さらに未来の神視点から諸葛亮に泥を被せないために諸葛亮は賛成していないし参加もしていないことになっている。

それも結構下敷きになってるんじゃないかと思えるんだけれど、劉備の夷陵の戦いは無謀みたいに(結果論も大きいだろうけれど、劉備意図自体を演義仕様そのままで考えられていることが多いような?)思われていることが結構多い気がしたり。

でも荊州がなければ益州だけあっても天下をとれないと考えて荊州を取り戻すという戦略自体は、戦術的失敗(夷陵の敗戦はそれってことで)とは切り離して考えた方がいいんじゃないかという印象。

蒋琬と荊州経由北伐

蒋琬は結果的に北伐していないから、なんとなく諸葛亮死後姜維以前は費禕と一緒くたに蒋琬も北伐する気がなかったみたいな意見も結構見かける気はするけれど。

ていうかこういうときには知恵袋はいい参考になるかも。

こんな質問(この後の疑問については今触れることもないから触れない)があって、その前提が通説としてはわかりやすい例になっているんじゃないかな。
質問の意図スルーで揚げ足取り好きな解答者が多い印象の知恵袋で、そこはスルーされているわけだし。

(ヤフー知恵袋)

蒋琬の北伐について。

諸葛亮と姜維は北伐を敢行し失敗した為に、その軍事面を酷評されることが多々ありますが、
蒋琬と費禕は北伐しなかった為、優秀な政治家というプラス評価だけを受ける、ある意味ラッキーな存在となりました。……

(これ、ベストアンサーになっているのは個人的には納得いかない回答だけど。次の方が良いと思うんだけどなー)

蒋琬は上庸を取る方向性での荊州経由の北伐を考えていたんじゃないかなとか。

上庸を取るだけじゃなくて?

荊州と呉と同盟

魏がいるからとりあえず蜀と呉は同盟したけれど。
とはいえ荊州は建国前から蜀と呉の関係にとっては地雷でありつづけた印象。

蒋琬は呉の歩騭あたりから(だっけ)疑われたし。
蜀が荊州に来ることは、呉を刺激するものだったとは思う。

愚痴

荊州は、元は劉表のもので劉表が生きているあいだ劉表(とかその手先の黄祖)から荊州を取れたわけでもない孫呉なので、赤壁の戦いは劉備がいなければ荊州をとった曹操に降伏する結論になっていただろうし、孫呉が荊州がほしいというのであればそれはそうだろうと思うしわかるけれど、そうでなくて荊州は孫呉がとる権利があって劉備が横取りで孫呉にこそ正統な権利があるというのは、なんだかなあっていう。どういう理屈でそうなるのか、みたいな。

正直演義が諸葛亮を活躍させるために城をとったエピソードでミスリードされすぎという印象?

蜀好きなのでたまに苛々する。

陸氏は好きなので(他にも個別に好きな人は呉にいるし、孫一族も孫堅は楽しいから好き)呉が嫌いとかではないけれど、関羽がらみで散々苛々することになったしなあ…。

まあいいや。

てことで、荊州をめぐっては蜀と呉の関係は平穏ではいられなそうというのは、直接利害関係全然ない自分でもこんななら、当時はもっとデリケートだったのかもという気はしたり。
領土問題はいつでもどこでもデリケート?

蜀の国力?

あと北伐批判というか蜀自体の批判としては、蜀は小国なのに無謀みたいなのはよくあると思うけれど。

ただ、漢自体(後漢もだし)、最初から大勢力だったっけっていうのはあるし。

乱世だと(あるいは魏が衰退、混乱している)とみなすなら、主な王朝でも(秦の時代の)前漢、(元末の)明とか立ち上げの時期は小勢力もいいところだったわけだし、諸葛亮たちが自分たちの時代をそのようなものだと見ていたなら無謀ではないし、実際に結果的に失敗したから末世にならなかっただけで、構想自体が悪いとはいえないんじゃないかな。

後漢はいちおう中興ってことなら、劉秀も最初から大勢力だったわけじゃないと思うし。
蜀漢も中興のあとの再興という意識なら、その時点で益州だけだということは、少なくとも国力的に身の程にあわないというのは意味が無いとは思ったり。

まとめ

とりあえずなんかそれたけれど、荊州を巡る蜀と呉の関係は、本質的にこんなデリケートさを持っていたという点は重要だとは思ったり。

おわり。





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