2016.02.21
1283文字 / 読了時間:1.6分程度
三国志

あと少し、さっきの記事「蔡文姫が鍾ヨウに蔡邕の筆法を教えたのはいつ」のつづき。

鍾ヨウと衛夫人とか

法書要録

《傳授筆法人名》

蔡邕受於神人,而傳之崔瑗及女文姬。
文姬傳之鍾繇。
鍾繇傳之衛夫人。
衛夫人傳之王羲之。……

鍾ヨウはこれを衛夫人にも伝えてたり。てかこの人、名前も残ってたのか。
中文ウィキペディアでこんなー。

▼衛鑠
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E9%91%A0

衛鑠(272年-349年),字茂猗,號和南,通稱衛夫人。晉河東安邑(今山西省夏縣)人,是東晉時代著名女書法家。以為楷書訂定筆劃順序聞名,其高徒之一就是「書聖」王羲之。

衛鑠為衛展之女、衛恆之妹(一說為其女)。師承鍾繇,惟書風不及前者寬廣。衛氏之《筆陣圖》,當中之七勢,對永字八法頗有影響。其他作品有《名姬帖》、《衛氏和南帖》。

衛鑠之夫為李矩,汀州刺史。子李充,官至中書侍郎,書亦有名。

てか生年272だから、鍾ヨウいくらなんでもとっくに死んでるー。
てことは別に直接習ったとかじゃなくて、作品を手本にしたということなのかなとも。


ところでこの人、衛カン(衛瓘)との関係はどんななんだろう。

ウィキペディアによると、「子に衛恒・衛宣(四男)・衛嶽・衛裔・その他二名・他娘一人。孫に衛璪・衛玠・その他数名。玄孫に衛崇。一説に書家の衛鑠は、衛恒の族弟である衛展(字は道舒)の娘だという。」ってことなので、はっきりした関係はわからないのか。

衛瓘も書家として有名。

あと、衛瓘の家族と鍾ヨウの家族は、行き来あったり。

鍾会伝注

會時遭所生母喪。
其母傳曰:
「夫人性矜嚴……
嘉平元年,車駕朝高平陵,會為中書郎,從行。
相国宣文侯始舉兵,眾人恐懼,而夫人自若。
中書令劉放、侍郎衛瓘、夏侯和等家皆怪問:『夫人一子在危難之中,何能無憂?』

嘉平元年(249)、みくるまは高平陵(明帝の陵)に参詣され、私は中書郎として随行した。相国の宣文侯(司馬懿)ははじめて兵をあげ、人々は恐れおののいたが、夫人は泰然としていた。
中書令の劉放、侍郎の衛瓘、夏侯和らの家人はみな不思議に思って訊ねた、『夫人の一人子は危難の中におられますのに、どうして心配なさらないのですか。』

あと鍾ヨウ鍾会親子もだけど、衛瓘もその父衛覬も書家として有名だったり。
衛瓘と鍾会は蜀討伐の時のあれこれがあるし、その父鍾ヨウと衛覬も、関中をどうするかであれこれあったり。

何かと関わりのある家同士なような。

if

追記。
あとそういえばかくの忘れてた。

せっかく「文姬傳之鍾繇。鍾繇傳之衛夫人。」とあるんだし、鍾ヨウは蔡文姫に筆法を教わって衛夫人に筆法を教えたということにした方がおもしろいんじゃないかなあとか。
そういうifも、思いついたら書き留めておきたい感じ。

鍾ヨウは鍾会母との逸話やら幽霊やら色々女性関係変わってるイメージあったり。
でも子どもは晩年に二人だけみたいなよくわからないところもあるけど。

幽霊鍾ヨウが衛夫人に書教えたり、実は死んでなかったとかで辻褄合わせてもいいかなあとか思いついたり。

おわり。

(旧ブログ2014.8.31記事移転)









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