さらに蔡文姫メモ。
蔡文姫の伝から。
後漢書 董祀妻伝(蔡琰伝)
http://ctext.org/hou-han-shu/lie-nv-zhuan/zh
陳留董祀妻者,同郡蔡邕之女也,名琰,字文姬。博學有才辯,又妙於音律。
適河東衛仲道。夫亡無子,歸寧于家。
興平中,天下喪亂,文姬為胡騎所獲,沒於南匈奴左賢王,在胡中十二年,生二子。曹操素與邕善,痛其無嗣,乃遣使者以金璧贖之,而重嫁於祀。
で、蔡文姫が最初に嫁いだ夫衛仲道について「河東衛仲道」って書いてあったり。
で、河東というと衛瓘も同じ。
晋書 衛瓘伝
http://zh.wikisource.org/zh-hant/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7036
衛瓘,字伯玉,河河東安邑人也。
で。
書で有名な衛夫人もこの衛氏。
でもって、ここでこんな感じに蔡文姫と衛夫人はつながりあったり。
法書要録
http://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B3%95%E6%9B%B8%E8%A6%81%E9%8C%84/%E5%8D%B7%E4%B8%80
《傳授筆法人名》
蔡邕受於神人,而傳之崔瑗及女文姬。文姬傳之鍾繇。鍾繇傳之衛夫人。衛夫人傳之王羲之。
てことで。
蔡文姫の最初に嫁いださきがこの衛氏の人だったら、筆法の伝授が一方的でなくて相互に影響しあってる(そのほうがあり得るだろうけど)感じになっていいかもとか思ったり。
衛仲道。百度だとこう書いてあった。
「故而卫仲道有可能是卫觊的二弟。」
http://t.co/W23Ffn7ap0
— medamayaki (@medamayaki1) 2014, 9月 3
おわり。
(旧ブログ2014.09.03記事移転)