今日わりと久しぶりに、ジルオール・トリニティのことを思い出してまたやりたくなった。
トリニティ・ジルオール発売の思い出
ジルオールは無印から好きで、トリニティは発表されたときのあれこれでかなり長いあいだ触れてなかったけれど、無印とはゲームとしては違うのは確かだけれど、これはこれで名作だなあとは思ったり。
トリニティは、大体広報が上手い印象あるコーエーにしては、情報公開が不用意だった記憶。
一部の信者が続編を熱望している状態で(それは確か。自分もそこに属していた)新作ジルオールと発表して期待もたせたところに、開発者が「ジルオールの続編を作りたかったわけではなくて、最初は西洋無双を作ろうとしてた(概要)」というような信者絶望なインタビューするから……。
あと、携帯機の追加人物とストーリー、さらに販促としてはじめたらしい小説が、過去にメアリー・スーキャラをねじ込んだという感じで大不評だったから、その記憶が新しいところに、過去(それも10年前というある意味一番ややこしい時期)に新キャラたちのストーリーをいれて活躍を描きます――といった情報を出せば、不安というより不信感が募るのもある程度しかたない流れだったんじゃないかな。おかげで、元信者(というか元祖信者)がネガキャンしまくって発売日にはかなり誰得新作になった(ジルオールと名前がついているせいで旧信者向続編に見えて新規買わなそう&旧信者は買う気なしが大勢)――というのが個人的なトリニティ発売時の経緯という思い出。
あくまで自分や自分の周辺の記憶だけど。
今となっては、コーエーの言い方が悪いのは確かなんだから販促失敗はコーエーの責任だとは思うにしても不幸な行き違いであって、トリニティも名作だったのだから、もし販促がもう少しうまくいっていたら、もっと愛されていたり、良い評価されてたんじゃないかとは思ったり。
元祖ジルオール好きでトリニティはやってないって人もそれなりにいるだろうし。
で、それがすごく残念だなあと思いだしたので書いてみたくなったり。
トリニティと元祖ジルオール(信者)の不幸な関係?
ジルオール(無印、インフィニティ)の信者にもいろいろあると思うけれど。
フリーシナリオ、主人公をキャラメイクできる自由度の比重がほとんどという人だったら、トリニティは、一本道、主人公、パーティー固定だから、確かにあわないかも。
ただ、比重はともかく、元祖ジルオールの世界観やキャラ、雰囲気、ストーリーといったものが好きだったとしたら、トリニティは充分ジルオールの続編といっていい作品だと思う。
前作キャラの功績横取りで新主人公ageにするようなことはなかったといっていいと思うし。
雰囲気や世界観は、すごく元祖を尊重していると感じた。
マップも、一応フリーシナリオの名残のあるクエストも。
なので、すごく今更な話だけれど、元祖ジルオールのストーリー、世界観、雰囲気が好きだった人でやってない人がいたら、触れてみてほしいなあとは思っていたり。
発売日からだいぶたってから買うゲームが楽しかった時、悲しいのはネットですらリアルタイムで話したりできなくなっていることだったり。
好きなゲームの他の人の感想を見るのは、個人的にすごく好きだったり。
最近は三国志13の話題多くて楽しいし。
トリニティはそれがなかったのが残念。
楽しく報告している人に出会っても、素直に受け入れる状態じゃなかったという自覚はあるけれど、それも含めてなんか悲しい思い出ではあったり。
トリニティは、ゲームとの出会いも色々あることを考えさせてくれた作品ともいえたり。
トリニティジルオールは名作
てことで、トリニティの魅力を語ってみることに。
続編として充分おすすめ――という点についてはもう書いたのでそれは除外。
トリニティはストーリーが魅力
続編ということで、元祖のフリーシナリオ信者が多かったせいか、プロモーションではストーリーの押しがやっぱり中途半端になっていたのではないか。
固定キャラ3人で、ほぼ1本道ストーリー――ならではの、ストーリーの密度があったと思う。
そして前作同様、ある意味主人公周りではそれ以上にシビアな世界観。
主人公のアレウスは、前作のキャラメイク主人公より、固有名がありキャラが強く設定されている分(自由度はどこにもない)、ある意味、むしろ救われなさの自由度が高まっている感じ。
バッドエンド(でも後味は悪くない)好きには、エンディングが素晴らしいと思えるのは、かなりポイントが高くなる。
アレウスが○○ていたらなあ、と思いつつも、そうなっていたらご都合主義で興ざめ――とか思うような、そんなバッドエンド好みをとっても満足させてくれる感じ。
元祖は、少なくとも主人公関連はそんなにシビアではなかった。キャラメイクできる主人公はプレイヤーの分身というゲーム的約束事があったからだと思う。
また、元祖は、フリーシナリオで主人公次第では救えるルートがあることが多い(すべてではないけれど)けれど、トリニティは一本道だし、そもそも誰が救われても、密度の高いストーリーを崩してしまうことになってしまうだけだと思われる。
そろそろネタバレ配慮で語るのもしんどくなってきたので、切り替えることに。
ネタバレ込みで、ストーリーやキャラについて語る
以下、ネタバレ全開で語る。
ストーリーについて。
たとえば、アレウス母救うルート、アレウス父救うルート、アレウス兄救うルート(これだけでもアレウスが悲惨なのはわかる)があったとして、それはこの作品の魅力を高めるだろうか。
ゲームとしては、やることが増えてゲーム性は高まるかもしれない。
それでも、ストーリーとしては、死ぬ必然性はないかもしれないけれど、それ以上に救う必然性がない。
そして、後者に従順なのは、よいストーリーだと思っている。
虚無の剣の設定が、ストーリーの主題だと思う。
使用すれば使用者の記憶と存在までを消す剣。
それを使わざるを得ないという状況。
だから、最後にエンディングでアレウスが消えていくのは、本当に寂しいんだけれど、ストーリーとしては完成していく姿をみていくことでもある。
ゲームのプレイヤーは今作では、ゲームに分身としてもキャラメイク者、ルート選択者としても登場しない。つまりそのような形式ではゲーム内の世界やキャラに関わることはできない。
けれどもトリニティの場合、エンディングにおいて、作品の中で忘れられていき存在も消されていくアレウスを、自分だけは覚えていて自分の中では存在している……という形式で、ゲーム内存在の一員となることより、一段強く感じることができるのではないか。
アレウス自身も、良い主人公だと思う。
多少けちをつけるとすれば、プレイヤーが触れる最初の時期のアレウスが、荒みすぎな時期で、それで嫌気をさす可能性が結構ありそう、というくらいかなあ。
最初性格悪すぎとは確かに思ったし。
これもキャラを選べないけれどキャラを操作するのが中心のゲームにとってはわりと致命的になりかねないところではあるかも。
ただ、アレウスは不幸続きな境遇でかなりひねくれただけで、根は素直。
プロモーションにもあるように、まっすぐさが根底にあるのが魅力。
それが、アレウスの最後の選択(とエンディング)に繋がるのだろうし。
この母親に向けての台詞とか。
「いつか自由な世界は広がる。広げてみせる」
ここで、アレウスは、冒頭に出て来て死んだアレウスの父に、やっぱり似ているんだろうなと感じたり。
ちなみに、ストーリー自体は王道だったり。
まとめ
なんかすごく思い出したり、語りたくなったから書いたけれど、そろそろ夜中1時になるのでこの辺でおわり。
プロモーションムービー見なおしても結構感動できる気分。
そして、一応最後にインタビュー記事も収録しておくことに。
またやりたいな。
というか、ゲームのストーリーだけ手っ取り早く回顧したい。
こういうときにゲームという形式は、最近はだいぶ対策されているにしても、やっぱり不便だとは思ったり。
あと、ジルオールシリーズの絵も好きだったり。
フロントミッションもかなり好きなシリーズだったけれど、よく考えて見れば同じイラストレーターの人が書いていたフロントミッション2が好きだから他のもやったって感じだったっていう。
とりあえずあれこれ書いたけれど。
結局は、トリニティジルオールはすごく魅力的、といいたいだけで、ぐだぐだ書いた内容自体は、的外れかもしれないけれど、語りたいことだけは確かなのでとりあえずあれこれ書いてみたり。
おわり。
資料
トリニティ・ジルオール・ゼロ(公式サイト)
https://www.gamecity.ne.jp/trinity/
(元凶のインタビュー)
http://www.4gamer.net/games/092/G009255/20100920032/
4Gamer:
では「TRINITY Zill O’ll Zero」について,うかがっていきます。前作「Zill O’ll」はRPGでしたが,今回はアクションRPGになっているんですね。鈴木氏:
実はこれは流れが逆なんですよ。「ω-ForeceでRPGを作りたい」という話が先にあって,そこにどんな世界観を持ってくるかで選んだのが,「Zill O’ll」なんです。ωーForceでRPGを作るとなれば,やはりアクションRPGになりますし,もちろんZill O’llのブランドを広げていきたいという意識もありますが,本作について言えば,そういう流れになります。4Gamer:
前作のZill O’llというと,やっぱり“フリーシナリオシステム”が一番の特徴だったと思うのですが,そのシステムではなく,世界観から選んだというのは,面白いですね。