正月休みに読んでいたのはこれ。
失われた時を求めて 3~第二篇「花咲く乙女たちのかげにI」
(光文社古典新訳文庫) [Kindle版]
プルースト (著)
高遠弘美 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/B015F4CCL0/ref=cm_sw_r_tw_dp_CqfJwb1CBG94N
Kindleで寝る前にベッドの中で寝っ転がって読んでたんだけど、この読み方は結構細かいところまで頭に入って集中できるかも。
あとは、失われた時を求めては一度は通読してるしその後もぱらぱら読み直してるから(ちくま文庫の井上訳)、読み進めなければってなる必要があんまりないのがいいのかも。
読み進めなければならないという感覚や状況は、読書の時に作品を味わうのに有害だと思う。
なので、個人的には何が書かれているかの情報を頭にいれておくことは、どの程度であっても読書の助けになりこそすれ、邪魔にはならないと思ってたり。
言い換えればネタバレの有効性。
先の展開がわかったらおもしろさがなくなるって、クイズか何かかって気がする。
まあいいや。
今回は、正月に読んでて正月関連の記述を見つけたのでそのメモ。
▼「失われた時を求めて」における正月、元日、お年玉
ノルポワさんと話した後。ジルベルトの家に遊びに行けるようになる前くらい。
一月一日になると、私は最初にお母さんと親戚回りをした。
(失われた時を求めて3)
こんなかんじでフランスのお正月について描かれているので、興味深かったり。
そう考えると、私には、元日が他の日と違うわけではなく、新しい世界の始まりの日でもないという気がした。
(失われた時を求めて3)
このころ主人公の恋愛の対象はジルベルト。
なので、もし新しい世界の始まりというのならもう一度改めてジルベルトと知り合うこともできただろうに、みたいな感じに。
元日自体についてのこの辺も好き。
元日自身は人から元日と呼ばれていることも知らずに、今までと変わったことは何ひとつないままに黄昏のうちに終わろうとしていると私には感じられた。広告塔の周囲を吹きすぎる穏やかなな風のなかに私は、永遠に続く普遍的な物質、つまり、慣れ親しんだ湿り気や、昔の日々と変わらぬ何も知らない流動体が再び姿を現すのを感じていた。
(失われた時を求めて3)
あと、お年玉ってフランスでもあるらしい。
つい先ほどまで私は老人たちのように元日を過ごしていたのだ。老人たちの元日は若者たちの過ごす元日とは違う。それはもうお年玉をもらえないからではなくて、彼らがもはや正月というものを信じていないからである。
内容も結構実感できたり。
てことで若さと老いについて、続いて書かれてるのでついでにそれもメモ。
それでも私はまだ若かった。何しろ、ジルベルトに短い手紙を一通したためることはできたのだから。そこで私は自分の愛情が育む孤独な夢について語り、同様の感情が彼女のうちに生まれることを望んだのである。歳をとった人間の悲哀とは、そんな手紙が意味を持たないことを知ってしまい、書こうとも思わなくなる点にあるだろう。
(失われた時を求めて3)
ここから、老いると正月やラブレターを信じなくなるということらしい……。
てことでメモ終わり。
それはそうとこの高遠さん訳の失われた時を求めての新刊、久しぶりに出る(明後日)。
Twitterでつぶやいたらご本人(?)から直々に教えてもらった……。
Kindle版で揃えてるんだけどどうしようかな。
光文社、すぐに電子書籍版出してくれない気がする。
悩むけどとりあえず終わり。