文学を通じてことばのイノヴェイションを考える4回シリーズ。第2回は、新作長編小説『忘れられた巨人』を発表したカズオ・イシグロへのインタヴュー https://t.co/yD0LwpZCb3 pic.twitter.com/qi5yrKNVLl
— WIRED.jp (@wired_jp) 2015, 12月 30
このインタビュー記事おもしろかった。
てことでブログにもメモしておくことに。
Twitterだとそのうち流れるし……。
▼カズオ・イシグロインタビューメモ
このインタビュー記事。
「時空を超えて伝わる『感情』を描き出す」作家、カズオ・イシグロの野心
http://wired.jp/2015/12/29/interview-kazuo-ishiguro/
カズオ・イシグロの小説観。
やはり、その小説の主題となっている「感情」が適切に伝わることが、わたしには大事なのです。わたしが小説を通してやりたいのは、時代や空間を超えて伝わる「感情」を描き出すことです。それは、普遍的で、変わることのない感情です。……
そして小説は、そのような普遍的な何かを運ぶのに、とても適した形式なのだと思っています。ローカルな感情を扱うのであればジャーナリズムやテレビのほうが適しているというのがわたしの考えです。
映像とくらべて小説は「記憶」を記述することに長けていると思います。記憶の曖昧さ、不合理さ、そのリアリティを、ことばは、むしろ映像よりも的確に捉えることができるように思います。小説においては特定の時代や空間が設定されますが、そうした設定自体が重要なわけではありません。
そこで描かれる感情や記憶といった心の作用こそが大事で、そこにこそ普遍性があるのです。そうでなければ200年前の小説を読むことになんの意味があるのでしょう。
いいなあと思ったのでメモ。
次は英語の拡大、グローバル化について。
ちょっと前までのわたしだったら、言語の問題によって、あるコミュニティが閉じていってしまうことは問題だし、よくないことだと思ったに違いないのですが、最近は、むしろいい面もあると感じ始めています。英語が触れることのできない文化圏は、違ったものを生み出すことを可能にするはずです。
世界とつながっていることの、すべてがいいとは言えないように、いまは感じています。ことばというバリアは、何かを守ってもいるのです。
自分の場合海外文学は好きだけれど、一方では日本語が好きだったり。
そもそも文学として充分に扱える言語が母国語以外にある人は稀ということもあるし。
日本語の世界は今まで切り開かれてきた部分も、未知の領域も広大だと思うし。
「ことばというバリアは、何かを守ってもいるのです」――これは、小説以外でも世界情勢認識とかでも重要そう。
てことでインタビューおもしろかったのでメモ。
おわり。