鍾会と衛カン(衛瓘)の関係についてなんとなく考えてたけど。
「鍾ヨウと衛夫人(衛鑠)、その家同士と」とか読み直してて。
法書要録(張彦遠)
http://t.co/7ATu1LjjOr
《傳授筆法人名》
蔡邕受於神人,而傳之崔瑗及女文姬。文姬傳之鍾繇。鍾繇傳之衛夫人。衛夫人傳之王羲之。王羲之傳之王獻之。
— medamayaki (@medamayaki1) 2014, 8月 31
鍾繇と蔡文姫、衛夫人の関係
蔡邕が蔡文姫に筆法を伝えたのは父と娘の関係。
なら、親戚関係とかは母方とか同族じゃない方はあんまり書かれないしってことで、母方の親戚だけれど史書その他には書かれていないということはわりとありがちな感じ。
てことは、蔡文姫から鍾繇というのは接点なくて一見不思議に感じられるけれど、実は遠縁の親戚だった、ということもなくはないかもとか思ったり。
書の筆法とかそう簡単に簡単に誰にでも伝えるものでもないようだし。
鍾繇、墓あばいて欲しいの手に入れたりしてるわけだし。
そのエピソード、これ。
↓
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140417/1397660488
で。
ただこれだと、鍾繇は蔡邕の筆法を墓あらしでもしない限り手に入れられないみたいだけれど、その辺は没年的に辻褄合わないらしいので、まあこれは鍾繇ならこういうことしそうだというお話なんだろうなということにしておいてもいいかなとか。
で、とりあえずなかなかオープンじゃないという風潮の根拠にはなるかなあとか。
ともかくこの「法書要録」を前向きに受け取ろうという場合において、鍾繇が蔡文姫と遠縁という可能性は否定はできないだろうし(それは誰にもほぼいえるかもしれないけれど、それよりも可能性は高めってことで)、なら衛夫人と鍾繇も遠縁にあたるのかもしれないし。
あと衛夫人、王羲之に幼少のころ書を教えているけれど、この時代とか風潮とかで親戚でもない女性が教師(身分が低いわけでもないし)ってそんなにありえるのかなあというのもあるし。
三国志的にいえば、蔡文姫がたとえば徐庶に教えるみたいな(寒門だしたぶんなさそう)他人の関係で?
鍾会と衛瓘、羊コの関係
てことで。
これについて色々考えたりするのは、鍾会と衛瓘や羊コとの関係についても、解釈を少し変えられるかなということもかなりあったり。
つまり、羊コは鍾会を嫌っていたけれど、鍾会が権勢あったからそれで何かの理由で嫌いになるということもあり得るけれど。
あ、晋書の羊コ伝だとこんなだった。
(晋書羊祜伝)
鐘會有寵而忌,祜亦憚之。
及會誅,拜相國從事中郎,與荀勖共掌機密。遷中領軍,悉統宿衛,入直殿中,執兵之耍,事兼內外。
鍾会の方が、気に入られてた羊祜を嫌って羊祜の方もまた鍾会を嫌ってた、というかんじ。
でもまあ、それ以外にも個人的に嫌うきっかけがあってもいいかなあとも思ったり。
羊祜の叔母の辛毘の娘が鍾会評をしてたのも、伝聞だけじゃなくて面識あったからかもしれないし?
まあいいや。
衛カンについても、衛瓘伝の方で多少気になるところあったし。
俄而會至,乃悉請諸將胡烈等,因執之,囚益州解舍,遂發兵反。
於是士卒思歸,內外騷動,人情憂懼。會留瓘謀議,乃書版雲「欲殺胡烈等」,舉以示瓘,瓘不許,因相疑貳。
瓘如廁,見胡烈故給使,使宣語三軍,言會反。會逼瓘定議,經宿不眠,各橫刀膝上。在外諸軍已潛欲攻會。瓘既不出,未敢先發。會使瓘慰勞諸軍。瓘心欲去,且堅其意,曰:「卿三軍主,宜自行。」會曰:「卿監司,且先行,吾當後出。」瓘便下殿。會悔遣之,使呼瓘。瓘辭眩疾動,詐僕地。比出閣,數十信追之。瓘至外解,服鹽湯,大吐。瓘素羸,便似困篤。會遣所親人及醫視之,皆言不起,會由是無所憚。
鍾会は胡烈らは捕らえたのに、衛カンはそうしないで仲間に引きこもうとしている。
それは胡烈は鍾会や衛カンと違って、名声ある家柄でもなくて仲間意識はないというのもあるだろうけれど。
衛カンを味方に着けるとかなり有利になるということはもちろんあるだろうけれど、ある程度仲間に引き込めるかもしれない成算がなければそんなことはやりはしないだろうし。
あと衛カンは、衛夫人と同族というだけでなく衛カンやその父も書家として名声あったり。
あと、衛カンの父と鍾会の父は長安の扱いで見解が違ったりということもあったり、わりと前々から関係あるなあとも。
まあともかく。
鍾会は衛カンを味方に付けることができるとある程度考えていたことの理由の一つに、一応親戚だから、とかも考えられなくはなかったり。
家柄的には別に問題ないだろうし。
てことで
鍾会は衛カン、羊祜と親戚説、とかで、とりあえず色々考えてみてもいいかなとは思ったり。
おわり。
(旧ブログ2015.2.21記事移転)