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メモ系1

チラシの裏(メモ系)

1虚子渡仏日記引用、2翻訳について、3ガラパゴスゾウガメ





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渡仏日記(虚子メモ)

470ページ
これはクーシューという医者が日本に風土病の研究に来て、日本に俳諧という詩が有るということを齎し帰ったのが初めてである。今度クーシューという人にも会い、又、ヴォーカンス、スーザ等という老作家にも会ったが、クーシュー氏は十七字という事を伝えて、季題ということを伝えなかった。私は季題のことをそれ等の人に説いたが、今後果たしてどういう風に変化して行くか。
 フランス、イギリス、ドイツの田舎に住んで居る人々であっても、煉瓦の壁によって固く外界との交渉を遮断され、たまたま窓を開けて外面を眺めたり、ドアを排して家の前に有る花園に出ることはあるにしても、彼等と自然界との交渉は稀薄である。殊にロンドン、ベルリン、パリ等に住って居る都人士は、僅に街路樹に四季の変遷を知るくらいである。クーシュー氏が俳句の十七字のみを伝えて季題を伝えなかったというのにも相当の理由は有る。
 併しながら一方からいえば、それ等の人々は既に数百年来自然と隔絶すべく生活に馴らされ来たったものである。私達、自然の間に哺まれ、自然と共に生長して来た者の目から見ると、其生活は不具であり、不自然である。先づそれ等詩人に四季の変遷を教え、軈て彼等国民の上にも及ぼすことは俳句の徳ともいうべきものか。

(クーシューについて)
詩歌のジャポニスムの開花--クーシューと『N・R・F』誌(1920)「ハイカイ」アンソロジー掲載の経緯
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005681595
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翻訳について

翻訳は劣化や下位互換なのか。その出来不出来は翻訳家の仕事の問題であり、翻訳の本質は変奏ではないのか?
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ガラパゴス

ガラパゴスゾウガメ

ハリエット (ゾウガメ) - 推定175歳まで生きたガラパゴスゾウガメ

ハリエット(Harriet、1830年頃 - 2006年6月23日)は、175年生きたと推定される、ガラパゴスゾウガメの(恐らく)亜種(独立種とする説もあり)サンタクルスゾウガメ Geochelone nigra porteri)である。人類の知る最も高齢の動物とされる。
もともとハリエットは、チャールズ・ダーウィンによって1835年に初めてガラパゴス諸島で捕獲されたものだと考えられていた。捕獲された時は皿1枚程の大きさであり、6歳だろうと推定された。確かにダーウィンは3匹のカメを捕獲し、ビーグル号で母国イギリスに持って行ったが、遺伝子判定によって、ハリエットはダーウィンが一度も訪れていないサンタクルス島の固有亜種であることが示されているため、ダーウィンが持ちかえったカメではない可能性が高い。

ロンサム・ジョージ - 本種の亜種であるピンタゾウガメの最後の生き残りであった個体。

ロンサム・ジョージ(英: Lonesome George、1910年頃? - 2012年6月24日)は、ガラパゴス諸島のピンタ島(英語版)に生息していたガラパゴスゾウガメの亜種(独立種とする説もある)ピンタゾウガメ(Geochelone nigra abingdoni)の最後の生き残りだった1頭の愛称。

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4つ目

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5つ目

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6つ目

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7つ目